仰天バースデーSP 誰もが知る「アレ」の誕生秘話

仰天バースデーSP 誰もが知る「アレ」の誕生秘話


【現代人に必須のあるモノ】
スコットランドに住むイギリス人のジョン(当時47歳)。
獣医師だった彼は、手術や診察に使う道具などを自ら改良する、アイデアマンだった。
そんな彼が、没頭していることがあった。
それは10歳になる息子のための、とある研究。


1800年代初頭に誕生した自転車は、その後、ヨーロッパを中心に目覚ましい進化を遂げ、この頃、市民の間にも普及し始めていた。
子供も例外ではない。
中でも彼らに人気だったのは、二輪や三輪の自転車でスピードを競い合う、レース遊びだった。
ジョンも息子の誕生日に、三輪自転車をプレゼントしたのだが、息子はレースで勝てた試しがないという。


当時の道路は、石畳や砂利道が多かった。
地面の凸凹の衝撃でハンドルがぐらつき、車体をうまくコントロールするには力が必要。
早く走るには体が大きく、力の強い子の方が圧倒的に有利だった。
そこで、ジョンは息子のため、三輪自転車の改良を決意。
寝る間を惜しんで、研究を重ねた。


そんなある日…獣医の仕事で家畜の治療を行っていた時のこと。
ある物を見て「これ、使えるかもしれないな」と思った。
ジョンは早速、試作品の製作に取り掛かった。
そして、ついに息子のための三輪自転車を完成させた。


すると、息子はレースで勝利!
ジョンが作った三輪自転車は、これまでのものに比べ、圧倒的に速く、運転もしやすかったのだ!
一体、なにが違ったのか?


実は、ジョンが着目したのは、動物の診察で使っていたゴムチューブだった。
当時、乗り物の多くは、ソリッドタイヤと呼ばれる、鉄製のホイールにゴムを巻きつけただけのタイヤを履いていた。
それは、重いだけでなく、クッション性も低かったため、乗り心地が悪かった。
そこで ジョンは、このゴムチューブをタイヤに使用できないかと考えたのだ。


木の円盤のまわりにゴムチューブを取り付け、それを布のカバーで覆った試作品を作った。
そしてジョンは、2つのタイヤを比較する実験を行った。
ソリッドタイヤを転がしてみると、中庭の途中で倒れてしまった。
だが、チューブのタイヤを転がしてみると…ソリッドタイヤを通り越し、庭の壁にぶつかるほど勢いよく転がったのだ。
そう!こうして考え出されたタイヤこそ、今では当たり前となった空気入りタイヤである!
すべてがゴムのソリッドタイヤより、中に空気を入れることで、タイヤは軽くなる。
さらに、路面の衝撃も和らげてくれるため、格段に運転もしやすい。
こうして、ジョンは息子のために、この空気入りタイヤを搭載した三輪自転車を完成させた。


この空気入りタイヤを作った男こそ…そう世界に名を轟かす会社の生みの親、ジョン・ボイド・ダンロップだった。
ダンロップはその後、自転車メーカーと協力して新型の空気入りタイヤを開発。
そしてこのタイヤを使用して、本格的な自転車レースに出場した無名の選手がソリッドタイヤを使った有名選手に圧勝し、性能を見せつけた。
その後、空気入りタイヤは世界中を席巻。
我々の生活に欠かせないものとなった。


【現代女性の必需品「アレ」の誕生秘話】
一攫千金を夢見、兄と起業したトム・ライル。
消費者の心を掴む商品の開発に取り組んでいた。
そんなある日…行き詰まっていた二人は、商品開発には女性ならではの意見も必要だと、姉メイベルをふるさと、ケンタッキー州から呼び寄せた。


早速、きょうだい3人による商品開発がスタートした。
しかし、中々 結果は出なかった。
そんな時、メイベルがケーキを作ろうとして、事故が起きた!
幸い大きな怪我はなかったが、彼女は女性にとって大切なものを失い、落ち込んでいた。


ところが、何かを思い出したメイベルは、時が経つのを忘れ何かに没頭していた。
そして…「よし、これで完璧ね」と笑顔になった。
彼女は、いったい何によって笑顔を取り戻したのだろうか?


トムとノエルは、姉メイベルが何をしていたのか気になり、彼女の部屋に入った。
そして、トムは姉の部屋で見たモノを直ちに商品化することにした。
知り合いの薬剤師に協力してもらい、何度も試作品を作り続けた。
そして…ついに、トムたちはその商品化に成功。
発売するや否や、瞬く間に女性たちの間で大評判となった。


実はあの時、メイベルがなくしたものは、まつ毛の一部。
彼女は、雑誌にまつ毛を濃くする方法が載っていたのを思い出し、それを試したのだ。
すると 短くなったまつ毛は復活。
実は当時、アメリカで化粧は一般的ではなく、化粧をしていたのは主に社交界の女性たちだけ。
雑誌に載っていたのは、彼女たちがまつげを長く見せるために行っていた、保湿剤であるワセリンに炭を混ぜるという方法。


そう、トムが初めて商品化に成功したものとは…まつ毛を長く見せるためのマスカラ!
しかし、ワセリンと炭をその都度混ぜ合わせるのは、手間もかかるし、調合次第では上手くつかないこともあった。
そこで、ワセリンや炭の他に、いくつもの原材料を組み合わせ、より短時間で簡単に付けられるマスカラを作ったのだ。
すると、女性の社会進出が進み、化粧をする機会が増えるという時代にも乗り、大ヒット!
設立した会社も大成功を収めた。


この会社こそ…姉の名前と原材料のワセリンをかけあわせて名付けられた…メイベリン。
その後、50年以上に渡って、3人は会社経営に携わった。
そして今や、世界トップクラスの化粧品会社へと成長したメイベリン。
現代女性の必需品…誕生の裏には、美しくありたいと願う女性の気持ちと弟たちの閃きがあった。


【仰天バースデー クイズコーナー】
【Q パイを食べた後の楽しみが誕生に関係した商品とは?】
今から約100年前、ウィリアムは地元で人気のパイの店を営んでいました。
10セントで売られていたパイは、近隣の大学生に大人気、毎日、行列ができていました。
でも人気の秘密は、パイのおいしさだけではありませんでした。
実は、食べ終えたあと、もう1つ楽しみがあったのです。


ここで問題です!
この店のパイを食べた後の楽しみが、世界中誰もが知る商品の誕生と大きく関係しています。
その商品とは、一体、なんでしょう?


パイを食べ終えた後の楽しみ、それは…お皿を投げ合うこと!
主にテイクアウトが主流だったこの店のパイ。
学生たちは食べた後、残ったこの鉄のお皿を投げ合って楽しんでいたのです。


学生たちが通っていた、その店の名前こそ、フリスビーズパイ!
店の創業者の名前は、ウィリアム・ラッセル・フリスビー。
パイの皿にも、フリスビーズパイと書かれていました。


ではこのフリスビー、なぜその名が全世界に広まったのかというと…もともと、皿を投げる遊びは、パイが売られていたアメリカ東海岸のある地域でのみ行われていたものでした。
ところが、今から70年ほど前、投げて遊ぶおもちゃとして開発されたプラスチック製の円盤。
そのおもちゃの販売権の契約をした会社が、円盤を投げる遊びを東海岸ではフリスビーと呼んでいると知り、その名をつけて販売したのがきっかけ。
ただその際、「Frisbie’s pie」は商標登録されていたため、綴りを一文字変えて販売したところ、世界中に知れ渡ったと言われています。


ということで正解は「フリスビー」でした。


【Q 娘の遊びをヒントに誕生したおもちゃとは?】
今から約70年前、ルース・ハンドラーは夫ともに、おもちゃメーカーを営んでいました。
夫婦には、娘のバーバラ、そして息子のケニースの2人の子供がいました。
娘のバーバラは、当時の子供としては少し変わった遊びをしていた。
そのときルースは、ある画期的なおもちゃを思いついたのです。
そして、会議でそのアイデアを提案。
ところが、男性社員たちから 猛反対されてしまいます。


それでも彼女は諦めず、普段の生活や旅先などでも着想を得ながら、3年かけて形にしました。
渋々の賛同を得て、販売を開始。
すると…それは男性社員の予想を覆す大ヒット!
初年度の売り上げだけで30万個を超えたのです。
このおもちゃをきっかに、夫婦の会社はアメリカ有数のおもちゃメーカーになりました。
ここで問題です。
娘の遊びをヒントに誕生したおもちゃ、それは一体、なんでしょう?


娘のバーバラが遊んでいたもの、それは…大人がファッションをチェックするための女性の紙人形。
それに切り抜いた洋服の絵を合わせ、着せ替えを楽しんでいたのです。
当時アメリカの女の子たちが遊んでいたのは、同年代の子供をモデルにし、子供の服を合わせる紙人形。
大人の紙人形で遊ぶことはありませんでした。


この時、ルースは思ったのです。
子供は、綺麗でかっこいい大人の女性にも興味があるのだと。
そして作った人形に、彼女は娘の呼び名をつけました。
その人形こそ…そう、バービー人形!
「バービー」とは、ルースの娘、バーバラの愛称だったのです。
さらに、後にバービーの恋人役のケンという人形も作られたのですが、この名前は、息子 ケニースの愛称「ケン」から取られたものでした。
ということで正解は「バービー人形」でした。


【Q 農民たちの行動が発端となり誕生した言葉とは?】
およそ140年前、アイルランドの小さな町でのできごと。
その年は日照り続きで、主な収入源であるじゃがいもが不作。
農民たちは収入が激減し、苦しい生活を送っていました。


当時、町の土地は、イギリス人の貴族が管理していたため、農民たちはその管理人に直談判することに。
しかし、管理人の元大尉は、農民たちの訴えを聞き入れてくれず、土地代はこれまで通り支払うようにと言って譲らなかった。


そこで、農民をはじめ町の住人たちは、ある行動に出ます。
管理人の注文をわざと取らなかったり、郵便物を届けなかったり…市場でも、管理人の畑で穫れた作物の買い取りを拒否したのです。
すると…彼は泣く泣く、イギリスへ逃げ帰ることに。


そして、この小さな町の騒動は世界中に広まり、ある言葉を生み出しました。
ここで問題!
農民たちの行動が発端となり誕生した、今私たちも使っている ある言葉、それは、一体なんでしょう?


アイルランドの農民の行動が発端となり、生まれた言葉。
それは、町中の人が協力して追い出したイギリス人貴族の名前でした。
彼の名は…チャールズ・ボイコット。
『ボイコット』は、集団で商品を買わなかったり、特定の人を排斥したり、また会合に参加しないなどの行動を指す言葉として知られています。
この言葉の語源は…アイルランドで土地の管理人をしていたイギリス人貴族の名前だったのです。
ということで、正解は「ボイコット」でした!


【この「大スター」は誰?】
今から75年前、彼の人生は悲劇から始まった。
産まれる時、産科医のミスにより、神経が傷つけられてしまい、唇やアゴなど顔面の一部が麻痺した状態で誕生。
それにより…言葉が上手く話せなかったのだ。
そのため、同級生からはいじめのターゲットにされた。
また、元々 気が弱かったこともあり、どんどん内向的に…友達は一人も出来ず、学校が終わると部屋に篭った。


そんな鬱屈した日々を過ごしていたのだが、ある日、1本の映画と出会った。
ギリシャ神話をモチーフにした『ヘラクレス』。
筋骨隆々の主人公・ヘラクレスが、勇敢に敵に立ち向かう姿を見た少年は、「僕も、あんな風に強くなりたい」と思った。
以来、少年は、自分に自信が持てるようになりたいとトレーニングを開始。
すると、滑舌は直らなかったが、弱気だった性格も少しずつ変わり、いじめられることもなくなっていった。


そしていつしか、こう思うようになっていた。
「僕の人生が映画で変わったように、僕も誰かの人生を変えられるかもしれない。」
彼は高校卒業を機に、ある決意をする。
それは、大学の演劇学部に入学し、本格的に役者への道を進むというものだった。


しかし、何度オーディションを受けても不合格。
回ってくるのは、チョイ役かエキストラくらい。
それでも夢を諦められ切れず、29歳で拠点をハリウッドに移した。
しかし、結果は同じ。
オーディションに落選した回数は、50回以上にも及んだ。


様々なアルバイトをしていたが、それだけでは生活が安定するはずもなく、所持金も底をつき始めていた。
そんな時だった。
何気なく見ていたテレビ中継。
その放送が終盤に差し掛かった頃…あることを閃いた。


そして、テレビで見たものからインスピレーションを得た彼は、自ら脚本を執筆、映画プロデューサーに売り込んだ。
すると…映画プロデューサーは、脚本を大絶賛。
数日後、彼はプロデューサーと共に、映画会社に脚本を持ち込んだ。
ここでも、脚本は大絶賛された!
映画会社は、当時の大スター、ロバート・レッドフォードや、ポール・ニューマンが主役に相応しいと考えた。
映画会社から脚本の買取額として最終的に提示された金額は、36万ドル。
現在の価値に換算すると、約1億6000万円という、破格の金額だった。


だが、この脚本を映画化するにあたり、彼は、1つだけ条件をつけていた。
それは…主演は彼自身というもの!
この条件だけは譲らなかった。
そして、主演は彼で決まったが、予算はテレビドラマ1話分しか出なかった。


こうして撮影された映画は…今から45年前に公開された。
プロモーションは、ほぼなし。
封切りの劇場の数も最低限からのスタート。
それでも、主演を務めた、この青年だけは、満足していた。


自ら脚本を書き、主演を務めた若き無名俳優、のちに誰もが知る大スターとなるのだが…その男こそ! シルヴェスター・スタローン!
実は、あの時スタローンがテレビで見たのは、ボクシング界の大スターで、チャンピオンのモハメド・アリと、無名に近いボクサーのタイトルマッチ!
誰もが、アリが早々に挑戦者をノックアウトし、決着がつくと思っていた。
その試合、挑戦者はアリから何度もクリーンヒットを喰らった。
しかし、決して倒れない。
それどころか、終始攻め続け、ついには…ダウンを奪う!
結果はTKO負けではあったが、人々の予想を覆し、最終ラウンドまで戦った。


感銘を受けたスタローンは、うだつの上がらないボクサーを主役にした脚本の執筆を開始。
自分の境遇を主人公と重ね合わせながら…わずか3日で脚本を書き上げた。
それこそが! 今や不朽の名作となったボクシング映画『ロッキー』だった。
劇場の数は最低限からのスタートではあったが、公開されるやいなや絶賛の嵐!
試合では判定負けに終わったロッキー。
しかし、生きる目標を見つけ、人生に勝利するという内容のこの映画は、予想を裏切る大ヒット。
興行収入は全世界でおよそ684億円に達した!
最終的に『ロッキー』は、翌年のアカデミー賞にて、最優秀作品賞を受賞するという快挙まで成し遂げた。


こうしてシルヴェスター・スタローンは、コンプレックスを乗り越え、幼い頃夢見た 誰かの人生に希望を与える存在になった。
彼は、のちにこのような言葉を残している。
「もし、卑屈になる事なく、挫折しても立ち直れば、最後には人生に満足できるはず。逆境に置かれようと、それを克服していく。そういった事を、この映画で表現したかったんだ。」


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