感謝の気持ちが奇跡を起こす!ありがとうSP

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仰天の展開 一通の手紙が人生を変える


若いカップルがデートで訪れたのは…現在、全国に約1200店舗を展開する最大手のカレーライスチェーン店、『ココイチ』の愛称で知られるカレーハウスCoCo壱番屋。
若山陽一郎さんは、今から19年前、ダンサーとしての成功を夢見て、岐阜からさいたまに移住した。
しかし…友人2人との共同生活。
収入はたまにダンスのイベントに出演してもらう、5千円ほどのギャラとアルバイト代のみ。
家賃などを引くと生活は苦しかった。


そんな彼にこの日、大ピンチが訪れる。
突然、岐阜に住んでいる恋人が、遊びに来る事になったのだ。
友人に助けを求め、お金をかき集めたものの、全財産400円のみ。
こうして二人が入ったのが、ココイチだった。
彼女は嫌な顔ひとつ見せなかった。


だが、彼にはもう一つ気になることが…
「2人で一皿のカレーしか頼まない、貧乏くさい客だと思われてるんだろうな」
そう思うと、若山さんは恥ずかしい気持ちで一杯だった。
すると…お願いもしていないのに、二つの取り皿とスプーンを用意してくれた。
若山さんはこの店員さんが上司に褒められたら良いなと思い、アンケートのコメント欄に感謝の言葉を綴った。


1ヶ月後、若山さんの元に一通の手紙が届いていた。
送り主はカレーハウスCoCo壱番屋の創業者、宗次 德二さん!
しかし、なぜそのような人物が、わざわざ若山さんに手紙を送ったのか?
実は…ココイチでアンケートのコメント欄に、若山さんは店員さんへの感謝の言葉を綴っただけではなく…入店時400円しか持っていなかったこと、ダンサーを目指しているが、なかなか稼げない事など身の上話まで、勢いでつい書いていたのだ。(アンケートに住所や氏名も記入していたため返信が届いた。)


届いた宗次さんからの手紙には…こう書かれていた。
「お客様が書かれたアンケートを読み、胸が熱くなりました。自分も貧乏をしていた時代があるので、お客様の気持ちはよく分かります。夢を諦めないで下さい。くじけそうになったら、またココイチに来て下さい。いつでも温かいカレーを作ってお待ちしております。」
実は宗次さんは、生後まもなく、児童養護施設に預けられ親の顔を知らずに育っていた。
その後、養父母に引き取られるも、養父の仕事がうまくいかなくなり、貧しく厳しい生活を強いられたという過去があったのだ。


手紙は、誰にでも宛てているような定型文の手紙ではなく、若山さん個人に宛てたものだった。
さらに、手紙と一緒に3000円の商品券が同封されていた。
手紙の言葉を糧にプロダンサーになるという夢に邁進した。
しかし…25歳になっても芽は出ず。
生活も安定しないことが精神的にも堪え…夢を諦めた。


ダンサーを諦め、営業マンとなった若山さんは、愛知県で不用品回収の会社を起業、多忙な日々を送っていた。
そんなある日、得意先の女性の紹介で紡績会社の会長と商談する事になった。
商談をする前に軽く食事をすることになり、訪れたのが…ココイチだった。
若山さんは、8年前の店での出来事、そして宗次さんからの手紙の事を話した。
その話に胸を打たれた彼女は…商談相手だった紡績会社の会長にも話すように促した。


それから数日後…若山さんはこの会長に、ある場所へ連れてこられた。
待っていたのは…ココイチの創業者、宗次徳二さんだった!
実はココイチの本部は、若山さんが働く愛知県にあった。
当時、宗次さんは経営を退き、福祉活動などを行なっていたのだが…紡績会社の会長が宗次さんとたまたま知り合いだったため、仲を取り持ってくれたのだ!


若山さんは自分がアンケートのコメント欄に書いたこと、そして直筆の手紙を受け取ったことなどを話した。
そして、心から感謝を伝えた。
なんと…宗次さんは若山さんのことを覚えているという!
実は…壱番屋の経営者時代、宗次さんは1日1000通以上寄せられる『お客様アンケート』を毎朝読むのが日課だった。
その中で胸に響いた意見に関しては、自ら返事を書いていたのだ。


福祉活動に取り組む宗次さんに触発された若山さんは、自身もカンボジアに学校を作るなどの活動を積極的に行っている。
若山さんは、こう話してくれた。
「宗次さんにしてもらった事を、宗次さんにお返しするのではなくて、次の方たちへ恩送りしていきたいと思って、若者たちに対して夢と希望を与えたいと思っているのは、一番最初に宗次さんにして頂いた事が、根底にありますね。めちゃめちゃ感謝しています。本当に。」


カレーハウスCoCo壱番屋の創業者、宗次德二さんからもらった一通の手紙が、後の人生の指針となったという、若山さん。
実は、その後も2人の交流は続いている。
若山さんは、宗次さんの講演会を主催し、講演会で得た会費は会場費を除き、すべて宗次さんの支援団体に寄付した。
そして、現在も自身で作った学校に文房具を送る活動だけでなく、子供たちに得意のダンスを教えるなど、積極的に恩送りを実践している。


アナタも経験あるかも!? すべては小さな勇気から始まった


男は葛藤していた。
彼の名は中村洋太さん、旅行代理店で働くサラリーマンだ。
実は、この時…ランチをとろうと入った店で、隣に座った外国人の観光客が、注文に手間取り困っていたのだ。
助けてあげたいが、隣の観光客はフランス語で会話しており、英語で話しかけて良いものか迷っていた。
しかも、中村さんは英語があまり得意ではなかった。


中村さんは、普段から困った外国人観光客を見かけると…英語が苦手なのに積極的に声をかけるようにしていた。
それには、ある理由があった。
学生時代、ヨーロッパを自転車で一人回っていた時のこと…スペインのレストランで隣に座った出張中のイタリア人に話しかけられ、拙い英語で旅の話をした。
すると…「イタリアにも来るのか!じゃあボローニャに寄った時は連絡しなさい」と言って、電話番号と名前を書いて渡してくれた。
そして2週間後、ボローニャに到着。
無事再会を果たし、地元の人しか知らない美味しいレストランに連れて行ってもらったのだという。


人生を豊かにする人との出会い。
大勢の人にそんな体験をして欲しいという思いなどから、旅行代理店に就職した中村さん。
とはいえ苦手な英語で、伝わるかもわからない外国人に話しかけるのは勇気がいる。
だが…思い切って「Where are you from?」と言って話しかけた。
すると…フランスから来たというティエリさん一家は、急に話しかけられたことに一瞬戸惑ったものの、中村さんよりも流暢な英語で答えてくれた。
今回が初めての日本旅行で、東京に1週間滞在するとのことだった。


中村さんは、ティエリさん家族を楽しませようと、拙い英語で必死に話した。
さらに、一家が昼食後、銀座へ向かうと聞いて…銀座までのルートや日比谷公園など、オススメのスポットを教えてあげた。
そして、中村さんとティエリさんは互いの連絡先を交換した。
その日の夜。
ティエリさんからメールが届いた。
「やぁヨータ。君のアドバイスで、日比谷公園に行ってきたよ。ありがとう」


すると中村さんは…ある人物に電話をかけた。
大学時代からの親友で英語も堪能な伊東達也さん。
そして、これまでの経緯を話し、ティエリさんたちに鎌倉を案内してあげてほしいとお願いした。
実は伊東さんは…鎌倉市役所の職員。
世界遺産の登録を推進する部署で働いていたのだ。


ティエリさんは、日本では携帯電話が使えず、ホテルにいる時にしかメールをチェックすることが出来なかった。
そこでメールで、伊東さんの写真を送り、彼が昼休みに2時間、鎌倉を案内してくれることを伝えた。
ところが迎えた当日、待ち合わせ場所にティエリさんらしき、フランス人家族の姿はなかった。
実は、ティエリさんは…ホテルを出る前「早く駅に着くから先に大仏を見に行く、そこで会おう」というメールを伊東さんに送っていた。
しかし伊東さんが、そのメールを見逃してしまっていたのだ。


彼は観光客が行きそうな場所を探し回った。
そしてほどなく…奇跡的にティエリさん一家を発見。
なんとか無事、合流することができた。
こうして、ティエリさん一家は日本を思う存分満喫。
2人に感謝の思いを伝え、フランスへと帰国した。


この出会いから2年後。
突然、中村さんの元にティエリさんからメッセージが届いた。
「Hi.Yota、日本の写真集を出版したよ」
実は警察の鑑識課で働いているティエリさん。
カメラが趣味で、自費で写真集を出版したという。


だが…日比谷公園や鎌倉の写真は掲載されていなかった。
「トーキョーマシーンズ」と名付けられた写真集。
自動販売機やポストといった日本人にとっては当たり前の街角にあるものを収めた一冊。
中でも種類が豊富な自動販売機は、フランス人にとって、とても珍しいものなのだという。


しかし驚いたのはそれだけではなかった。
写真集の最初のページには…「日本の友人中村洋太と、伊東達也に捧げる」と…中村さんと伊東さんの名前が載っていたのだ。
ティエリさんは、こう話してくれた。
「すごくいい友人関係を築けたし、何よりヨータと伊東さんに会って日本が大好きになりました。2人が案内してくれた場所は写真集にないんだけど、僕にとっての東京、日本の象徴として、2人に心からの感謝の気持ちを込めて、名前を載せたんです。」


たった一言、勇気を振り絞ったことで生まれた美しい絆…
中村さんはこう話してくれた。
「Where are you from? が僕にとってのある種の武器じゃないけど、僕もヨーロッパを旅した時に、日本行ったことあるよって言われるとすごく仲良くなるきっかけになるし、どこからきたの?って聞くのは魔法の言葉だなって思います。」


中村洋太さんは、現在、勤めていた旅行代理店を退職。
フリーライターとして、自らの旅のエピソードや、日本で出会った外国人との交流などをエッセイにして紹介している。
一方、初来日で貴重な日本人の友人を得たと語るティエリさん。
実は最近、嬉しいことがあったという。
長女イリスさんが、観光の仕事を学ぶ学校に通い始めたのだ。
もちろん、日本への旅も きっかけの1つ。
将来、旅行関係の仕事に就きたいという愛娘の夢を、ティエリさんも応援している。


伝えたい感謝の想い 心の支えだった女性は今?


今から3年前のある日。
朝日新聞社の上海支局長を務める宮嶋さんは、あるSNSの投稿に目を奪われた。
『今、どこにいますか?会いたいです』
誰に、なぜ会いたいのか?
彼女は投稿をした人物にアポを取り、直接話を聞く事にした。
投稿者は上海で人材派遣会社を経営する、中国人男性の孫さん(55歳)。


遡ること28年…当時、27歳だった孫さんは、日本の大学に留学していた。
最初の1年は、留学する際に借りた費用を返済する必要があったため、日本語学校に通いながら、料亭や写真店などでアルバイトを掛け持ちして、毎日休みなく働いていた。
アルバイト先の写真店に50代くらいの女性がいたという。
当時、孫さんは日本語をほとんど話せなかったため、彼女とも会えば挨拶を交わす程度の間柄だった。
アルバイトが忙しく、大学で同じ中国の友達と仲良くなる時間はない。
バイト先は日本人ばかりで話し相手もいない。
孫さんは、強い孤独感に苛まれていた。


そんなある日、腹膜炎になり緊急手術。
大事には至らなかったが、しばらく入院することになった。
他の患者には、家族や友人が見舞いに来ていたが、自分を訪ねてくる人は誰もいない、それが何よりも寂しかった。
異国の地で一人きり…孫さんは、不安と孤独に押しつぶされそうになっていた。


そんな時、写真店の女性が訪ねてきた。
彼女は、店長から孫さんが入院したと聞き、野菜が沢山入った栄養満点の けんちんうどんを持ってきてくれたのだ。
実は、彼女には孫さんと同い年くらいの息子がいるのだという。
息子が夏休みに中国に旅行に行った際には、心配でたまらなかったという。
そのため、一人日本に留学している孫さんが入院したと聞き、他人事だとは思えなかったのだ。


その後、孫さんは名古屋市内の大学院に進学。
東京を離れ、写真店のアルバイトも辞めることに。
そんな彼も、大学院を卒業する頃には日本語が上達。
改めて女性にお礼を伝えようと、写真店を訪ねたのだが…店はなくなっていた。
女性のフルネームも連絡先も聞いていなかったため、探す術がなかった。


その後、中国に戻り、就職した。
多忙な日々を送りながら、くじけそうになった時や悩んだ時、彼女の優しさを心の支えに踏ん張ってきたのだという。
実は、孫さんは女性を探すため、日本の探偵に依頼したこともあったが見つからなかった。
だが、それでも諦められなかった。
SNSに投稿して日本の知人に拡散してもらえれば、あの女性に届くかもしれない、そう考えたのだ。


孫さんに話を聞いた宮嶋さんは、すぐに行動に出た。
朝日新聞で記事にしたのである。
一連の詳細を書き綴り、女性が名乗り出てくれる事を願った。
しかし、もう28年も前の話、彼女が覚えているかどうかはおろか、健在でいるかどうかもわからない。


すると、その女性、青山さんが名乗り出てくれた!
青山さんによると、この日の朝、偶然宮嶋さんの記事を見た友人が知らせてくれたのだという。
脳裏に、28年前の記憶が蘇った。
彼女はいつも真面目に働く孫さんを気にかけていた。
そんなある日、いるはずの孫さんの姿が見当たらず、店長に聞くと、入院したという。
孫さんが入院した病院は女性の自宅の近くにあった。
そのため、栄養を付けてもらおうと、具沢山のけんちんうどんを作り、孫さんに届けたのだ。


それからおよそ1ヶ月後、宮嶋さんたちが間を取り持ち、孫さんは28年越しに感謝の言葉を伝える事が出来た。
そしてこの時、青山さんは孫さんのために、あるものを用意していた。
28年前、病室に届けた、あの けんちんうどん。
思い出の味を口にした孫さんは「ああ、美味しい。この思いに、もう言葉が追いつかない。」
思わずそう呟いたという。


3年前、28年ぶりの再会を果たした二人。
その翌年、孫さんは青山さんと息子さんを上海に招待。
今も交流は続いている。
孫さんはこう話してくれた。
「実は私は、もともと麺類はあまり好きではない。あれ以来は大好きになりました。コロナが落ち着きましたら、もう1杯、もう2杯、3杯ですね、ぜひ彼女のうどんを食べさせて頂きたいですね。」


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