誰も知らない「大ヒット曲の秘密」SP2

超人気アーティスト本人が秘話を激白!! Part2


【あの大ヒット曲は、故郷にいる仲間からの〇〇がなければ違うものになっていた?】

若者を中心に絶大な人気を誇る、熊本県出身の3人組バンドWANIMA。
底抜けに明るい前向きな歌詞とノリの良いサウンドで2017年にメジャーデビューを飾ると、その年の紅白歌合戦にも出場。
だが、そんな彼らがブレイクのきっかけを掴んだ「ある大ヒット曲」に誰にも知らない秘密があった。


それはメジャーデビューの前年。
当時から音楽ファンを中心に絶大な人気を博していたが、まだインディーズだった彼らに、とある大企業から初めて書き下ろしCM曲のオファーが舞い込んできたことから始まった。
彼らにとっては慣れない大企業案件。
それでも3人は、なんとか期待に応えるべく、それまでに経験がないほど長期間スタジオにこもり、ようやくメロディーと歌詞を完成させた。


そして、レコーディング作業も終盤、全ての演奏を録り終え、最後にボーカルを入れて完成という工程を翌日に控えた4月14日、彼らにとって耳を疑うニュースが飛び込んできた。
この日、彼らの地元熊本が最大震度7の大地震に襲われたのだ!
一刻も早く熊本に帰って、家族や仲間を助けたい。


周囲のスタッフに迷惑をかけることにはなるが、事情を話せばきっと理解してくれるだろう。
そう思い、地元の仲間に連絡を入れた。
ところが…返信には「こっちは俺たちで踏ん張るけん、お前らはたくさんの人に音楽ば届けてくれ。」という、大変な状況におかれているにもかかわらず、夢を追って東京に出てきたメンバーたちの背中を押すメッセージが記されていた。
そして実は、このメッセージを送ってきたのはただの友人ではなく、かつて彼らと同じ夢を見ていた人物だった。
彼らがワニマになる前に組んでいた前身のバンド、ハニマのドラマー蓮田裕也さん。
ハニマの解散とともに音楽の道に進むことを止め、現在は地元熊本で建築関係の仕事をしているという。


そこで、彼らは一度出来上がっていた曲に、故郷の家族や仲間、そして被災し苦しんでいる人たちのために新たな歌詞を追加することを決意。
そのために曲を伸ばして、もう一度レコーディングをやり直したいと願い出たのだ。
しかし彼らが当時所属していたのは、音楽ファンの間では広く知られた存在ではあったが、あくまでインディーズのレーベル。
資金が豊富なメジャーのレコード会社ではなかった。
それでも…彼らの提案をレーベルスタッフも快諾。
こうしてWANIMAはレコーディングを再開。
新たな歌詞を追加して、数週間後、ついに曲が完成した。


そして曲がリリースされると、発売直後から大きな反響を呼び、彼らにとってそれまでで最大のヒットを記録。
新たなファン層も獲得し、翌年にはこの歌で紅白歌合戦にも出場することになった。
その曲こそ…今や、WANIMAの代表曲の一つでもある「ともに」だった!
そして、元々万人への応援歌として制作していたこの曲だが、熊本地震を受けて彼らが急遽追加した歌詞というのが、曲の終盤に当たるこの部分。
♪生きて耐えて時に壊れ泣いて迷う影に笑顔咲き誇る
♪生きていれば…命さえあれば…


さらにこの曲のタイトルを平仮名3文字で「ともに」としたことにも、蓮田さんからきたあのメッセージが関係していたという。
KENTA「タイトルは最後に決めることが多いんですけど、友達と連絡取り合ってて、そのあともいろいろ話したりして、自分たちがそれ(歌詞に込めた気持ち)をちゃんとわかっていればというのもあったので、タイトルも「共に」というのと、仲間たちの「友に」というのを、自分の中やメンバー、チーム、分かってて、それ(2つの意味)を歌うことで僕は、小さなきっかけに変わると思ってる。」


その後、この曲は熊本地震復興のために作られたドラマの主題歌に。
彼らの熊本への思いは多くの被災者、そして 蓮田さんら故郷の仲間達に届くことにもなった。
そしてもちろん被災地だけでなく、そのメッセージは日本中に今も広がり続けている。
現在YouTubeで公開されているこの曲のミュージックビデオ再生回数は、驚異の1億2500万回!
そのコメント欄は、この曲に励まされた人々の熱い思いで埋め尽くされている。
「ともに」は、かつて同じ夢を見ていた故郷の 友に背中を押されたことで生まれ、日本中を励ますことになった、珠玉の応援歌だった。


【超大ヒット曲「新宝島」のミュージックビデオを〇〇が完コピ!】


サカナクションの大ヒットナンバー「新宝島」。
6年前に映画の主題歌にもなり、ビルボードチャートで首位も獲得!
さらに、ミュージックビデオも1億5000万回以上再生されるなど、大きな話題となりましたが…実はこのミュージックビデオを意外な人物が完コピしたことで、その後、アンビリバボーな事態に進展したのです。
その人物とは…なんと当時12歳の小学6年生!


若干12歳にして「新宝島」のミュージックビデオを完コピしてしまったという少年の名前はドロップくん。
身近にあった「あるもの」を使って「完コピ」ビデオを作成しました。
それは…レゴ!
ドロップ君はこのミュージックビデオを全てLEGOブロックで再現したんです!
制作には、一般にコマ撮りと呼ばれる撮影技法を用い、かかった期間はおよそ1ヶ月!
元々LEGOブロックで遊ぶのが好きだったことから、作品作りに挑戦したというドロップ君。
完成した映像をYouTubeにアップすると大反響を呼び、なんとボーカルの山口一郎さんがDJを務める、ラジオ番組に電話出演まで果たしてしまったのです!


そんなスーパー小学生だったドロップ君も、現在は中学3年生。
今回ご本人に連絡を取り、将来の夢を聞いてみると…
「まだちゃんとは決めていないけど、映像制作の道にいけたらいいなと思っています。」
将来どんな作品をつくるのか、今から楽しみですね!


【人気ガールズバンドの大ブレイク曲は、初めて◯◯に行った時の感動から生まれた!】


大人気女性ロックバンドSHISHAMO。
共感を呼ぶ歌詞と明るくノリのいい曲調から、ロックフェスなどで人気を獲得。
ティーンの心を鷲掴みにしている、今、もっとも勢いのあるガールズバンド!
代表曲でもあるこの「明日も」は、彼女たちが初めて紅白に出場した時に歌った曲なのですが、この曲のサビ部分の歌詞には…「ヒーロー」という言葉が出てきます!
実は、この「ヒーロー」というのは…Jリーグ 川崎フロンターレの選手たち!


実はボーカルの宮崎さんが川崎市出身でフロンターレの大ファン!なんですが、この曲はそんな彼女自身の心情を歌っていたわけではないんです!
それは5年前、宮崎さんが初めて川崎フロンターレの試合を観戦しに行った時のこと。
サポーターの熱い応援を目の当たりにし…
「自分以外の誰かのことをこんなに熱く応援するってすごい!この人たちを主人公にした曲を作りたい!」と、大感動して曲にしたのだそう!


そして、お気づきの方もいるかもしれませんが…ミュージックビデオを撮影した場所は、川崎フロンターレのホームスタジアム!
ちなみに、フロンターレの選手は全員好きという宮崎さんですが、特に推しているのはチームの守護神・チョン・ソンリョン選手。
理由は…「プレーも人柄もどっしりしていて、安心感があるから」とのことです!


【あの大ヒット曲のせいで、誰にも言えなかったアンビリバボーな秘密とは!?】


2003年に発表した『さくらんぼ』の大ヒットでも知られるシンガーソングライターの大塚愛さん。
実は彼女、あの当時、決して人に言えない、ある秘密があったそうなんです。
『さくらんぼ』の大ヒットによって、当時、大塚愛さんの周囲には、思わぬ変化が起こったといいます。
それは、『プライベートで飲食店を利用していると、さくらんぼをサービスしてもらえるようになった』こと!
でも、実は彼女…さくらんぼが苦手。
理由は味…甘いのか甘くないのか、ハッキリしないからだそう。


では、なぜ苦手なさくらんぼをタイトルにしたかと言えば、単にさくらんぼの見た目をカップルと重ね、『対になって2人が隣にいる』ということを表現したかっただけ。
それでも当時は真実を言ってしまうと、せっかくの善意を踏み躙ることになってしまうと思い「苦手」だとは、とても言えなかったのだとか。
しかし、あれから18年が経った現在では、『さくらんぼが苦手』であることを堂々と公言しているそうです。


超人気アーティスト本人が秘話を激白!! Part3


【コロナ禍に発表された大ヒット曲に秘められたメンバー全員の熱い想いとは!?】


大人気ダンスロックバンド、DISH//のみなさん。
DISH//といえば…2ヶ月前にこの番組で放送したところ、ネットを中心に大反響を呼んだ、代表曲「猫」の秘密。
実は、この曲はただの恋愛ソングではなく、北村匠海さんが主演を務めた、映画「君の膵臓を食べたい」を見た歌手のあいみょんさんが、その切ない死別を描いたストーリーに大感動!
そのストーリーにインスパイアされ書き上げた一曲だったという秘話を放送しました!
すると、オンエアの反響はご本人たちも驚くほどだったそう!


実は、昨年リリースされたある大ヒット曲にも、これまでほとんど明かされなかった秘密があるそうなんです。
昨年8月にリリースされた、バンドDISH//の「僕らが強く。」
ミュージックビデオがYoutubeで公開されると、わずか数日で100万回再生を記録、多くの人の心を動かしました。
この曲は、人気バンド、マカロニえんぴつのギターボーカルはっとりさんが作詞作曲を行い、DISH//に提供したもの。
実はDISH//は、制作段階でメンバーのほうから、はっとりさんに連絡を取り、彼らが当時感じていた社会に対する想いを伝えていたそう。


完成したこの曲を通して彼らが伝えたかったのは、「コロナ禍で、孤独を感じて生きる全ての人々を勇気づけたい」という想いでした。
そして彼らはその思いを、もうひとつ、驚きの方法で形にしたのです。
なんと、コロナで様々な行事が中止になってしまった人々のために「僕らが強く。」の楽譜を応募者に無料で配布すると発表!
すると…「同じ部活だった友達と、最後の思い出に歌うのに使う予定です。」
「教育実習で、コロナの影響で目標を見失っている子たちのために使用したい。」
と、メンバーの想いが伝わり、苦しい状況の中でも前を向こうとする人たちからの応募が殺到!
「僕らが強く。」には、この時代をともに生き抜こうという熱いメッセージが込められていたのです!


【最悪の第一印象から大逆転した大ヒット曲とは!?】
とあるグループが3年前、ひさしぶりのシングルをリリースすることに。
しかし、事務所の社長が提案したのは、流行とはかけ離れたちょっと古くさい曲調の楽曲で、聞いた当初、メンバーは困惑したといいます。


それでもリーダーが『自分たちが一番楽しもう!』と声をかけ、メンバーも気持ちを切り替えることに。
その後全員でミーティングを何度も重ね、ついに「あるアイデア」にたどり着きました。
実際に楽曲が発売されると…彼らの「アイデア」が若者を中心に大ウケ!
社会現象になるほどの大ヒットとなり、この年を代表する楽曲に!


その曲とは…そう!DA PUMPの『U.S.A.』!!
実はこの曲、彼らが古くさいと思ったのも当然で、DA PUMPのオリジナル曲ではなく、カバー曲。
原曲はイタリア人歌手、ジョー・イエローが、28年前にリリースした往年のヒット曲でした。


ISSAさんや、振り付けを担当したダンサーのTOMOさんたちが中心となって話し合った結果、たどり着いたアイデアが…最先端ダンスだった「シュートダンス」の採用!
TOMOさん「当時僕はアメリカに行ってたんですけど、アメリカでシュートダンスっていうのがあって…みんな楽しそうにやっていたので、あの楽曲に合うなと思って、僕らなりにアレンジして…親指をこうやって立てて…」
アレンジした この動きを「いいねダンス」と名付け、キャッチーに仕上げました!
すると、ちょっとレトロな楽曲と絶妙にマッチ!
「ダサカッコいい」と大きな話題を呼んだのです!


【ラブソングだけはやりたくなかった!? 大もめの末に生まれた超大ヒットソングとは?】


今から15年前、ある男性グループは窮地に追い込まれていました。
『次の曲でヒットしないと契約を打ち切られるかもしれない』と、まさに崖っぷちの状況!
なんとしてもヒットさせるために時にはスタジオに寝泊まりし、必死で楽曲制作に臨んだのです!
そして試行錯誤の末、曲のテーマが「愛」に決まりました!


曲作りの方針も決まり、一安心…かと思いきや、メンバーの一人が「愛」テーマとすることに大反対!
実は、彼らがやってきた「レゲエ」というジャンルは、元々「反抗の音楽」と呼ばれ、社会や政治を批判する楽曲として生まれた歴史がありました。
そんなレゲエのルーツをこのメンバーは、人一倍リスペクトしていたため、ラブソングを歌うことに最後まで抵抗していたんだそう。
その後、メンバー同士の話し合いは長期にわたり、最終的には反対していたメンバーもラブソングを歌うことを承諾。
それでも本心では、最後まで納得がいかなかったそうです。


ところが、そのラブソングは発売まもなく、彼らのこれまでのセールス記録をあっさり更新。
カラオケ オリコンチャートで25週連続一位を記録するなど、世代を問わず愛される名曲となりました。
葛藤の末にリリースされたそのラブソングとは…そう、大人気レゲエグループ湘南乃風の『純恋歌』。
ストレートな愛情を歌ったこの曲は多くの人の心に響き、大ヒットを記録しました。
ちなみに最後までラブソングを作ることに反対していたのは、曲のサビを歌っているHAN-KUNさん。
それでも彼は後のインタビューでこう語っています。
「あの当時は反対していましたが、この曲があったから、今も音楽をやらせてもらえていると思っています。」


【世代を超えた、あの大ヒット応援ソングは、ある「個人」だけに向けて歌われていた!?】

今から37年前にデビューした、4人組のロックバンド。
結成当初は…今まで日本にはなかった音楽をやろうと、ベースやドラム音を中心としたド派手な演奏と過激なパフォーマンスを行っていた。
しかし、一部のファンから人気はあるものの…ヒット曲といえるものはなく、いわゆる色物バンドと評価されることが多かった。


そして、デビューから2年経ち、所属事務所を移籍すると…自分たちの音楽を諦め、ヒットさせるためにあらゆる手段を使えと、指示されるようになっていた。
それでも2年ほどは事務所の方針に従っていたが…演奏にこだわりを持っていたベーシストは、とにかく何がなんでもヒット作をという方針に納得がいかず、ベーシストは脱退を決意。
仲間に迷惑がかからないよう半年後に脱退することが決まった。


ベーシストが脱退する前に、オリジナルメンバー4人の力でヒット曲を作りたい。
その思いで作った100曲以上の中から…全員で話し合い、これなら売れると思えるメロディーが完成。
その曲にボーカリストが「ヒットするための」歌詞をつけることになった。


だが…ボーカリストが書いた歌詞は、事務所側が求めるような世間に媚びる内容ではなかった。
それは、苦楽を共にしてきたベーシストに向けた、惜別の思いを記したものだった。
そして、33年前の10月にこの曲が発売されると…感情を率直に表現した歌詞に感動、共感する人が続出。
発売から30年以上経った今でも、世代を問わず多くの人から人気を博し、高校野球の応援歌やカラオケの定番ソングとして親しまれ続けている。


その曲こそ、爆風スランプの「Runner」!
世間では広く応援ソングとして知られるこの曲だが、歌詞に込められたこの曲の本当のテーマは…当時すでに脱退が決まっていたベーシスト・江川ほーじんさんと、残ってバンドを続けていく自分たちのことを歌にしたものだった。
この曲を足がかりに、「爆風スランプ」はその後もヒット曲を連発、バンドブームの先頭を走っていった。
一方「ランナー」発売の3ヶ月後、爆風スランプを脱退した江川さんも、自らのバンドを結成するなど、その後も第一線のミュージシャンとして活躍。


そして、今から7年前に、中野さんが「ウィーラブランナー」という歌を出した際は、江川さんもレコーディングに参加。
メンバー全員ではなかったが「ランナー」発売から20年以上たち、歌われていた「いつか」がついに実現した。
しかし、3年前、江川さんは交通事故に遭い、意識不明の重体に。
命の危険は脱したが現在も治療を続けているという。


昨年還暦を迎えた中野さんはギターの河合さんとともに、名前の由来でもある中野サンプラザで初のワンマンライブを敢行。
ここでももちろん、ランナーを歌った。
中野さんはこう話してくれた。
「必ずほーじんのことを思い浮かべざるをえませんね。ほーじんがあってのほーじんをテーマにした歌なので、今でも(「Runner」を)歌うときはほーじんのことを思い歌います。」


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