あれから20年…笠井アナが語る地下鉄サリンの惨状

あれから20年…笠井アナが語る地下鉄サリンの惨状

2015年03月20日 (金)
公式ツイッター @web_tokudane


地下鉄の車両の中に立つ鑑識官。
その足元にはこの時、まだ正体が明らかになっていなかった猛毒のサリンの包みが。
あれから20年。写真に写っていた元鑑識官・杉山克之さんが初めてカメラの前で『あの時』を語った。



床に落ちている濡れた新聞の包みをよく見ようとしゃがんだ時、手の感覚がないことに気づいた。
異変を感じ、すぐ車両を飛び出した杉山さんだったが数メートル走ったところで崩れ落ちてしまったという。

「ロープで首を絞められるイメージ」

杉山さんはその後5日間生死の境をさまよった後、奇跡的に回復した。
その後、杉山さんは周囲の反対を押し切ってわずか1カ月で現場に復帰した。
杉山さんがオウム真理教の捜査に戻った理由、それは、杉山さんと同じく生死の淵をさまよい、命を落とした犠牲者の無念を晴らすためだったという。

今回杉山さんを取材した笠井アナも、地下鉄サリン事件の現場にいた一人だった。



笠井「100台近くの緊急車両と、野戦病院のような聖路加病院の光景はいまだに忘れられません」

いつにも増して熱のこもったプレゼンをした笠井アナに、放送後 当時の話を聞いてみた。

笠井「実は、あの中継は僕が出る予定じゃなかったんです。中継担当の記者が現場の混乱により中継場所までたどり着けなくなってしまっていたんです。」

事件当初、実はワイドショーのリポーターとして現場に向かっていた笠井アナは、カメラマンと待ち合わせをしていた。その時、偶然報道特番の中継現場を通りかかり、スタジオから記者を呼ぶ声を聞いて、とっさにマイクを付けてカメラの前に立ったのだ。
当然、話す内容も準備しておらず、台本もカンペも全くなかったという。



地下鉄の駅の前で、朝10時から夜9時まで11時間、生中継に立ち続けた笠井アナ。
警察の規制線が徐々に解除され、駅構内に近づくにつれて原因不明の頭痛に悩まされ始めたという。
後にこの頭痛は、警察がサリンを中和するために散布した薬剤の影響であることが明らかになったが、当時はサリンの影響かと気が気ではなかったという。

番組の中にも、当時のことを知らない20代前半のスタッフが増えてきた。事件を風化させないためにも、私たちにはこれからも伝え続けなければならない。

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