愛されリポーター「伝え人」武藤まき子さん死去…伝説を残した“おまき流”リポート
小倉「亡くなった大スターを追いかけるように おまきさんも逝ってしまいました。71歳は早すぎます」
「とくダネ!」をはじめ、フジテレビの情報番組で長年リポーターとして活躍した武藤まき子さんが虚血性心不全のため71歳で亡くなった。飾らない、まっすぐな人柄で「おまきさん」の愛称で慕われていた武藤さん。その信念は「伝え人」でありたいというものだった。
俳優界の“大御所”故・森繁久彌さんは おまきさんを見つけると必ずハグ。先代の故・中村勘三郎さんからはニューヨークでの取材の帰り際に「気を付けて帰ってね」と逆ねぎらいの言葉…そんな おまきさんが特に大切にしていた仕事の1つが皇室の取材だった。
テレビには映らないときも地道に取材。1993年当時、独身最後の登山を楽しむ皇太子さまに同行し、慣れない登山でぐったりしていると「お疲れになったでしょう」と声をかけられ、振り返ってみるとそこには笑顔の皇太子さまがいた…という貴重なエピソードも おまきさんならではだった。
小倉「僕のことを『おぐたん』と呼ぶのは、おまきさんくらいだった…リオ五輪の時には毎日メールをくれて『やっぱり五輪の時のあなたは生き生きしている。とにかく頑張れ』って。そういうメールが来たのも10月末で最後でしたね」
長年おまきさんと一緒に仕事をしてきた芸能デスクの前田忠明さんをはじめ、平野早苗、小柳美江、横野レイコのリポーター陣も思い出を語った。
前田「『おはよう!ナイスデイ』が始まる時、リポーターを募集したのですが、いい人が見つからなかった。一度募集を締め切ったんだけど、おまきさんが自ら売り込んできたんです。全国放送コンテストで優勝した時のナレーションのテープを持ってきて、僕も含めてスタッフが聞いたんですが、素晴らしくてブッ飛んじゃいました」
小倉「きれいな日本語を話すんですよね。みんな、おまきさんからアドバイスしてもらって番組の出演者は育ってるんですよね」
平野「ダイアナ元妃が死去した時、一緒に海外を旅行していて、ウィーンで連絡を受けたんです。そうしたら おまきさんはいつでもホテルから飛び出せるよう すぐに化粧をはじめて戦闘モードの表情になっていた。プロだなあと感じた」
小柳「メールのやりとりをするのが好きな人で、私が出演した時は必ずといっていいほど番組が終わったら『きょう見てたわよ。きつい取材だったけどまた頑張ってね』とメールをくれるんですよ。私たちの年になって励ましてくれるのは、おまきさんだけだったんです」
小倉「おまきさんのメールは長いんだよね。『長すぎる!』っていうメールを送り返したこともありましたけれど(笑)」
横野「おまきさんは皇室と歌舞伎という専門分野があって、私は相撲。情報番組の中で専門分野を持つことの難しさと大切さを、おまきさんの背中を見て教えられました。私があまり番組に出ていなかった時に電話がかかってきて『続けなさい!食らいつきなさい!』と言われたことが忘れられない」
若いころから50歳を過ぎた今になっても“長いメール”で厳しく指導されていたという笠井アナは涙をこらえながら、放送中に入ってきた最新情報を伝えた。
笠井「市川海老蔵さんのブログで更新がありました。『武藤まき子さん、』というタイトルです」
海老蔵さんはブログで、おまきさんが「おまきが行く!」という新聞連載に「麻央さんを支える海老蔵も“今年の顔”」という見出しのコラムを書いていたことに触れながら、おまきさんをしのんでいた。
私の事を武藤さんが伝えることはよくあったけれど
私が武藤さんの事を記事にするのは初めてです。
麻央さんを支える海老蔵も今年の顔、
この見出し嬉しかったよ。
誰にもわからない戦いを武藤さんは
感じてくれてるのだなと、
嬉しかった。
これまで長年、番組を支えてきた武藤まき子さん。
心よりお悔やみを申し上げます。