62年越しに届いた暗号ラブレター

アメリカ、東海岸にある、マーサズ・ヴィニヤード島。
沖縄県の石垣島とほぼ同じ面積を持ち、およそ1万5000人が暮らすこの島で、1人静かに暮らしていたシンシア・リッグスさん。
だが80歳を過ぎて、彼女は突如、全米を驚かせたラブミステリーのヒロインになった。

全ては、今から6年前に始まった。
ある日シンシアさんの元に分厚い封筒が届いた。
差出人は『H.ATTEBERY』いう人物だったが、住所の記載はなく、代わりに緯度と経度らしき数字が書き込まれていた。
そして、封筒の中に入っていたのは…古ぼけたペーパータオルの束だった。
さらにそのペーパータオルにはギッシリと意味のわからない文字が書かれていた。
だが…実はこれ、62年前に彼女自身が書いたものだったのだ!



1950年、オハイオ大学で海洋地質学を学んでいたシンシアは、大学からの紹介で4ヶ月だけ、サンディエゴの海洋研究所で働くことになった。
そこにいたのは、全員年上の男性研究員ばかり…シンシアは手荒い扱いを受けた。
ある時は自分のデスクが開かないようにいたずらをされ、またある時は、わからないことがあっても、何も教えてもらえず、嫌がらせに近い扱いを受け続けた。



味方のいない職場で、心のはけ口となっていたのが、一人になった時ペーパータオルに悔しい気持ちを書き出すことだった。
その文字は一見すると、めちゃくちゃなアルファベットの羅列で、何か言葉を書いているようには見えなかった。

ところが…シンシアが暗号を書いていると、後ろから声が聞こえた。
「『負けるもんか』?」
なんと、シンシアの暗号を読むことができる人がいたのだ。
実はこのメモ、すべての文字をアルファベット順にひとつ繰り上げて読み解くものだった。



シンシアは父が軍人だった影響で、幼い頃から暗号遊びが好きだった。
話しかけてきた男性、ハワードも軍隊にいたことがあり、暗号解読の知識があったのだ。
ハワードは歯科学の学位を持った微生物学者だった。
物静かで優秀な研究者として周囲の尊敬を集めていた。

これをキッカケに2人は暗号で他愛のないやりとりを始めた。
慣れない職場で唯一打ち解けられる上司。
その優しさにシンシアは癒された。
ハワードはシンシアより10歳年上の28歳、18歳のシンシアにとっては、異性というより歳の離れた兄のような存在だったという。



そして数ヶ月後、シンシアは大学に戻るため、サンディエゴを去り、短い2人の交流は終わりを告げる。
以来62年間、全く連絡を取っていなかったハワードから、突然、あの時のペーパータオルの束が届いたのだ。
さらに、ペーパータオルの束には暗号で書かれた手紙が添えられていた。

シンシアがその暗号を解いてみると…
『私はあなたを愛さない日はありませんでした』
それは、ハワードから62年越しに届いた、愛の告白だった!

この手紙についてシンシアさんは、こう話してくれた。
「私のことをそこまで思ってくれていたなんて、当時は全然気づいていませんでした。だから手紙が来た時も正直どう受け止めていいのかわかりませんでした。」



実はシンシアの職業は、ミステリー作家。
毎週、作家志望の生徒たちを集めて小説教室を開いており、その多くは女性だった。
そこで、ハワードから届いた手紙を見せ、どうするべきか相談をしてみたところ、生徒は皆、ハワードに返事をすぐに書くべきだと言う。
しかし、シンシアは返事を書くことをためらった。

シンシアは大学卒業と同時に結婚し、5人の子供に恵まれた。
だが…夫は有能な地質学者だったが、気に入らないことがあるとすぐに手を上げた。
結婚して25年目、ついにシンシアは入院するほどの怪我を負わされ、離婚。
以来、すっかり男性不信になってしまったのだ。



なぜハワードが62年も経って、あんな手紙を送ってきたのかはわからない。
だが、このまま無視してはいけない気がした。
しかし、連絡先の手がかりは緯度と経度らしき数字のみ。
まずは住所を突き止めることから始めなければならなかった。

先ずはその数値で検索してみると…そこはアメリカとメキシコ国境付近の沿岸部だったが、これだけでは住所までは分からなかった。
ハワードは歯科医の資格を持っていた。
そこで、カリフォルニア州歯科医師会のサイトにアクセスし、名簿を調べると…ハワードの名前を見つけた。
そう、実はハワードもあの後海洋研究所を離れると、念願だった歯科医となり、長く活躍していたのだ。



これで彼の居場所はわかった。
しかし、あのメモをなぜ送ってきたのか、その真意はわからない。
そこで、ごく簡単な返信だけに留めることにした。

数日後、すぐにハワードから返事が来た。
ハワードはもう20年近く前に妻と死別、一人で暮らしているとのことだった。
こうして2人は文通を開始。
最初は形式的な話題が多かったが、少しずつ、心の内を明かすようになっていった。



そんなある日のこと、ハワードから日を分けて、次々と小包が届いた。
中身はいずれも違う植物の種だった。
まず最初に送られてきたのは、ホーリーホック(HOLLY HOCK)。
続いて、ラベンダー(LAVENDER)、オニオン(ONION)、ヴェローナ(VERONA)、エッグプラント(EGGPLANT)、スピナッチ(SPINACH)、キャットニップ(CATNIP)の順番。
合計7種類の種だった。

実はこの7つの種には、ハワードからシンシアへのあるメッセージが潜んでいた。
それは…送られて来た7つの植物を順番に並べ、それぞれの頭文字だけを抜き出すと…『H LOVES C』…『ハワードはシンシアを愛している』



小説教室の生徒たちは、ハワードに会いに行くように勧めたのだが、シンシアはためらっていた。
しかし、ハワードと手紙をやり取りするうちに、シンシアの心にも少しずつ、変化が訪れていた。
手紙の最後には、いつもアメリカで一般的にキスを意味する「X」という文字と、ハグを意味する「O」という文字を、彼らの流儀に乗っ取りあえて一文字ずつずらした「Y」と「P」の文字が並んだ。
手紙はやがてメールになり、2人は毎日のようにメールを送り合った。
2人の住む家はアメリカの東海岸と西海岸にあり、4000キロ以上も離れていたが心の距離は日毎にどんどん近づいていった。

そして…周囲の強い勧めで、2人は会うことになった。
だがもちろん、不安がないわけではなかった。

シンシアさんは、この時の気持ちをこう話してくれた。
「彼が私を見たらどう思うだろうと考えていました。私はもう18歳ではありません。」



再会の時…ハワードが車の窓から差し出したのは、赤いバラと、ずらした文字で書かれた「キスとハグ」を意味するメッセージだった。
そして2人はハワードの家に行き、話をした。

ハワードは、シンシアと初めて会った時、恋に落ちていたという。
そして、ハワードにとって、ペーパータオルでのやり取りは、忘れられない思い出だった。
そのため、捨てられずに持っていたのだが、もし自分が死んだら、家族が訳も分からず捨ててしまうと思った。
そう思った時、シンシアに持っていて欲しいと考えたのだと言う。
住所を書かなかったのは、シンシアに返事をする義務があると感じて欲しくなかったからだった。



そして…ハワードはシンシアにプロポーズ。
ハワードが差し出したのは、葉巻の帯で作った指輪だった。
結婚で辛い思いをしたシンシアに対し、たとえ断ったとしても、責任を感じないようにと、ハワードが考えた小粋なアイディアだった。
こうして62年ぶりの再会からわずか一時間、2人は婚約した。



そして再開の日からおよそ8ヶ月後、2人の結婚式が彼女の住むマーサズ・ヴィニヤード島で行われた。
結婚式の準備は、小説教室の生徒たちが全面的に協力。
エスコートや付添人は2人の子供たちや孫が務めた。
だが、実は2人にもこの結婚式に向けて、やらなくてはならないことがあった。
それは…シンシア「ハワードはとても恥ずかしがり屋で物静かな人です。でも彼はこう言いました。『結婚式のキスはとても重要だ。キスは長すぎず、短すぎないのでなくてはならない。我々は練習する必要がある』と。」

はたして練習の成果は…練習通りだったのかは定かではないが、みんながちょっぴり長めに感じた、キスだった。
さらに、そのタイミングもちょっぴり早すぎたようだった。



そして、結婚式の日から2人はこの島で一緒に暮らし始めた。
それは、とても穏やかで優しい日々だった。

そして結婚式から4年後の2017年2月1日。
愛する妻に見守られ、ハワードさんは天国へと旅立った。

シンシアさんは、こう話してくれた。
「あれは私の人生で最も素晴らしい5年間でした。あの5年間の愛の貯蓄は私が生きる限り続くでしょう。私には彼の死を嘆くことはできません。なぜなら彼は私にたくさんの愛を残してくれたからです。」



シンシアさん81歳、ハワードさん90歳から始まった2人の結婚生活。
シャイだったというハワードさんだが、結婚後、その態度に大きな変化があったという。
ハワードさんは、どこにいてもシンシアさんにキスをするようになったという。

そんな2人には、お気に入りの場所があった。
それは結婚するときに2人で植えたブナの木のある場所。
ブナの木は、5年で倍近くの大きさに成長した。

1度目の結婚で苦労を重ね、しかし80歳を過ぎて本当の幸せを手にいれたシンシアさん。
そんな彼女が考える「愛」とは…
「愛とは『ホッとすること』だと思います。全幅の信頼がおける相手とともに、心の底からほっとする気持ちになれるということ。相手が何をしようと、何を考えようと思いつづけること。同じように、自分が何をしようと、何を考えようと、受け入れてもらえること。そんなお互いの信頼感から生まれる心地よさ。それが愛だと思います。でもそれは同時にとても情熱的なことでもあります。老人と話してみてください。たくさんの情熱が80代、90代にはあります。」

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