あなたならどうする? 決断スペシャル

【ジョン・レノン脱走計画】
 今から52年前、世界的ロックバンド・ビートルズが初来日。
その時の映像は、誰もが一度は目にしたことがあるだろう。
そこに、ビートルズのメンバーからアンビリバボーな決断を迫られた1人の日本人が映っているのをご存知だろうか?
それがこの男性…彼はライブ関係者ではなく、ごく普通の会社員!
運命のいたずらで、たまたま居合わせただけだった!


 今回 我々は、映像に映る人物とのコンタクトに成功!
入内島登(いちじま のぼる)さん。
彼こそ、ビートルズのメンバーにとんでもない決断を迫られたという人物だ。
 入内島さんは、当時を振り返りこう話してくれた。
「まさか、あんな無茶なことを頼まれるとは思っていませんでした。あんな真似をするんじゃなかったという反省はありません。むしろ満足しています。」


 時は、ビートルズ来日から2ヶ月前にさかのぼる。
当時、入内島さんは外資系の保険代理店に社長秘書として勤務。
運転手も兼ねており、社長 所有のピンクのキャデラックの運転も任されていた。
 そんな頃…世界中の若者を熱狂させていた、ビートルズ初の日本公演が決定。
来日中の賠償保険を、入内島さんの会社が担当することになった。
カメラ映えするという理由で、移動用にピンクのキャデラックも貸すことに。
そこで、英語も堪能だった彼が、運転手を任される事になったのだ。
当初の予定では乗せるのはメンバーではなく、スタッフのはずだったのだが…派手な車だからか、メンバー全員が入内島さんの車に乗り込むという予想外の事態に!


 そして、来日2日目。
ビートルズが貸し切ったホテルに、送迎スタッフとして宿泊していた入内島さんの元に…突然ジョン・レノンが1人で訪ねてきたのだ!
そして、「骨董品店を自分の足で回って、自分の目で品物を選んで購入したい。」と言い出した。
日本に来たら絶対に実現したかった夢だと言うのだ。
 実はビートルズの4人は、ライブ会場となる武道館に行く時以外、一切の外出を禁じられていた。
さらに、彼らが宿泊するホテルでは、3人の警官が客用エレベーターの出入りを常に監視。
廊下にも、多くの警官や警備員が配置され、蟻の這い出る隙間もなかった。
ホテルの外には、ひと目彼らの姿を見ようとファンが殺到。
警察・機動隊合わせて、数百人が出動する騒ぎとなっていた。


 しかし、ジョンは入内島さんにこう訴えたという。
「僕らはどこの国に行っても、いつもホテルに缶詰状態で自由に買い物さえ出来やしない…これじゃ、何のために音楽をやっているのか分からないんです!」
 しかし、もし勝手に連れ出したのがバレ、騒ぎにでもなれば、入内島さんの責任問題は必至。
自分だけでなく、会社にまで非難が及ぶ可能性もある。
万一、ジョンに怪我でも負わせたとなれば、国際問題に発展してもおかしくなかった。
厳戒態勢のホテルから脱出させて欲しいというジョン・レノンからの無謀過ぎる依頼。
果たして、入内島さんが下した決断とは?


 決断からしばらく経った後の、ジョンの姿を捉えた写真がある。
それが、こちら!
満面の笑みを見せるジョン。
彼の手元を見てみると…小包を抱えている。
そう、入内島さんは…1人で責任を負う覚悟でジョンの願いを叶える決断をしたのだ!


 ジョン・レノンをホテルから脱走させる決断をした入内島さん。
まず、カメラマンに成りすましたジョンと、信頼のおけるイギリス人スタッフに日本人スタッフの部屋まで来てもらうと…
スタッフしか使わないことから、比較的警備が手薄な業務用エレベーターを使い、地下の駐車場へ降りることに。
警備員には、スタッフと外出してくると言って、ジョンと入内島さんはフロアの脱出に成功。
 しかし、問題は次だった。
レンタカーがまだ一般的でない時代…入内島さんが使える車は、キャデラックしか無かったのだ。
そこで彼は、後部座席の下にジョンたちを隠し…ファンやマスコミに気付かれることなく、ホテル前を脱出。


 乃木坂や青山、原宿など、都内にある骨董品店を次々と案内した。
万一気付かれても直ぐ逃げられるよう、危険を覚悟の上で店の前に車を付けていたのだが…
あっという間に大勢の人が集まってしまい、大騒ぎになってしまった。
その結果、ジョン・レノンの脱出劇はマスコミにもバレ、大々的に報道されてしまったのだ。
 当然、手助けをした入内島さんは、警察や関係者から激しく叱責された。
幸い、ジョンが無事だったため、それ以上の責任を問われることはなかったものの…以降、ビートルズメンバーとの接触は禁止。
入内島さんが許されたのは、スタッフの送迎のみとなってしまったのだ。
そして、ジョンたちビートルズは、3日間に渡る日本公演を終え、次のライブ地・フィリピンへ出発。


 だが数年後、ジョン・レノンが再び来日。
するとジョンは、わざわざ入内島さんの勤務先を探し出し、連絡。
『あの時のお礼が、どうしても言いたい』と、ホテルに招いてくれたのだ!
実はあの時、自分のせいで入内島さんが警察に怒られたと知ったジョンだけは、騒動の後もスタッフの目を盗み、彼の車を利用し続けていたのだ。
 入内島さんは、最後にこう話してくれた。
「(自分の決断は)褒められた行動ではないと思いますが、ジョンにとっては、いい息抜きになったのは間違いない。あの決断をしなければ、ジョンとの絆は生まれなかったと思います。私にとっても、今でも大親友だと思っています。」



【壮絶!暴走バスを止めろ】
 今から71年前、まだ戦後の混乱が残る中、長崎自動車、瀬戸営業所の車掌として働く青年がいた。
鬼塚道男さん、当時21歳。
当時、瀬戸営業所から長崎市内へ運行するバスは、一日一往復の便のみ。
そのため、市内で働く者や、買い出しに出掛ける者などで溢れ、定員30名程度のバスはいつも満員であった。
 当時のバスは、『木炭バス』。
このバスはガソリンではなく、後部に設置した大きな釜で木炭を燃やし、発生したガスでエンジンを動かすというもの。


 鬼塚さんが車掌を務めるバスの道中には、『打坂(うちざか)』という坂があった。
当時の地図を見てみると、少しカーブしているのが分かる。
さらに、この坂について書かれた記事によると、『坂は舗装された今の道路よりきつかった。勾配20度。力のない木炭バスにはつらい急坂だ。』と書かれている。
 木炭バスの馬力は非常に弱く、坂を登りきれず、バスが止まる事がよくあった。
そんな時は、乗客もバスを降り、乗務員と共に坂の上まで押す事も珍しくはなかったという。
そのため、この『打坂』は『地獄坂』と呼ばれていたのだ。


 この日は何とか持ちこたえ、上りきるところだった。
だが…その時!フットブレーキとサイドブレーキが故障し、バスが後退し始めたのだ!
 今回 我々は、この出来事について、当時の新聞記事や長崎自動車の社史、地元の民族資料館の記録を調べたが、詳しい事実関係まではわからなかった。
そのため、ここからは資料で分かっている事実と、番組の推測を織り交ぜながら、紹介する。
 運転手は、鬼塚さんに「なんでもいいから後輪に何か挟め、輪留めになるものを入れろ」と指示した。
鬼塚さんはバスを飛び降り、輪留めになるものを探した。
その間にも、スピードは徐々に加速…気づけば、ハンドル操作は難しいスピードになっていた。


 坂道を下るバスから飛び降りた客もいたと推測される。
だが…坂は岩の多い砂利道。
そのため、飛び降りる事に恐怖心を抱く乗客もいたであろう。
バスのスピードはさらに増していく!
どんどん後退するバス、その先は…高さ10メートルの断崖だったのだ!


 バスは坂の頂上付近から後退…このまま行くと崖に転落してしまうという状況だった。
当時の記事によると、鬼塚は岩を輪止め代わりにして停車を試みたが…バスは止まらなかった。
断崖絶壁へと進んでいくバス!
 バスは崖に落ちる直前で止まった。
絶体絶命の場面…その時、鬼塚さんが下した決断とは…!?


 長崎県 西彼杵郡 時津町、ここは当時、その地獄坂があった場所。
現在は整備され、地獄坂の面影はない。
しかし、道端には今も鬼塚さんが下した決断が記されている。
『鬼塚道男君は、木炭バスが故障し断崖に転落せんとするや、咄嗟に車体の下に挺身(ていしん) 以て大惨事を食い止め、自ら乗客三十有余(ゆうの)の生命に代わりて散華(さんげ)せり』


 そう、鬼塚さんは自らの身体を丸め、車輪と地面の間に挟まって、バスを止めたのだ。
およそ1時間後、現場に最初に駆けつけた同僚、高峰貞介(たかみね さだすけ)さんは、のちに、こう語っている。
「バスは崖のギリギリの所で止まっとったとです。もうお客は誰もおらんで、運転手が一人、真っ青な顔ばしてジャッキで車体を持ち上げとったですたい。」
想像するに、戦後間もなくという事もあり、乗客たちも生きる事に必死だったため、その場を後にしたのかもしれない。
 高峰さんの妻・キミさんは、そのときの鬼塚さんの状況を、夫から詳しく聞いたという。
「(鬼塚さんは)まだ息をしていたと聞きました。タイヤの跡が肩と足に残っていた。腹は何ともなかったから、(病院に)連れて行ったと言ってました。」
だが、搬送中…鬼塚さんは21歳の若さで息を引き取った。


 彼が究極とも言える決断を下した、その場所には…勇気ある行動を記した石碑、そしてこの道を行き交う人々の安全を見守るお地蔵様が建立された。
さらに、70年以上経った現在も、毎年欠かさず、長崎自動車の社員たちが、鬼塚さんの命日に慰霊法要を行っている。
乗客の命を守りたい…鬼塚道男さんの意思は、今も受け継がれている。





【歴史変えた裁判官の覚悟】
 かつて日本では、死刑判決を覆す事は絶対に不可能と言われていた。
そんな中、今から39年前、日本ではじめて「死刑判決が下された事件の再審」が決定した。
財田川(さいたがわ)事件…そこには、1人の男の人生を賭けた大きな決断があった。
 矢野伊吉さん。
貧しい農家に生まれた彼は、中学卒業後、独学で司法試験に合格、裁判官となった。
今から51年前、矢野は高松地裁・丸亀支部に支部長として赴任。
子供たちはすでに独立。
楽しみは、結婚31年目の妻とする庭いじりと、晩酌。
50代も後半を迎え、老後を妻や子供、孫達と幸せにくらすことを夢見ていたのだが…


 ある日、判事が未整理の書類の中から、ある殺人事件の犯人からの手紙を見つけ、矢野さんのところに持ってきた。
その事件とは…財田川事件。
 1950年2月、香川県の財田村で1人暮らしの男性が鋭利な刃物で全身をメッタ刺しにされ殺害された事件。
およそ2ヶ月後、警察は地元では有名なワルで、当時 別の事件で逮捕されていた谷口さんを財田川事件の犯人として取り調べた。
彼の物とされたズボンに付着していた血痕、その血液型が被害者と同じO型だったのだ。
さらに、明確なアリバイがないことから殺人容疑で起訴された。
 事件から2年後、ズボンの血痕と自白が決め手となり、高松地裁で死刑判決が下され、その5年後には最高裁で刑が確定。
その後、谷口さんは再審請求をしたものの棄却されていた。


 矢野さんが彼の手紙に目を通すと、証拠とされたズボンの血痕のことが書かれていた。
実は、あのズボンは兄の物であり、彼自身は履いたこともないという。
さらに、警察官である兄の話によると、血痕は自殺現場で女性の遺体を収容した時に付着したものだと言うのだ。
 そして、死刑判決を受けた3年後、谷口さんはある程度時間が経過した血痕に対する鑑定技術が進化し、男女の違いまで判別出来るようになったという新聞報道を目にした。
逮捕当時の鑑定技術では、ズボンに残された血痕からは、A型・B型・O型・AB型の4種類の違いを判別する程度しかできなかった。
しかし、今ならズボンについた血痕が女性の物であり、被害者男性とは別物だと証明できるのではないか?
もう一度鑑定してほしい…そんな願いが書かれていた。


 手紙が来てから5年が経っていたが、矢野さんは再審請求をする意思があるのか確認するため、谷口さんに返事を書いた。
すると1週間後…谷口さんから、『再審請求を願っています。』という返事が届いた。
 再審請求とは、判決が確定した事件について、新たな証拠が見つかった場合などに裁判のやり直しを求めること。
判決に不服がある者が、裁判所に再審の請求をし、請求を受けた裁判所がそれを審理した上で、再審の開始を決定する。
しかし、地裁で再審開始の決定を出しても、検察側が異議を申し立てた場合、審理は高裁へ。
高裁の決定にも異議がある場合は、最終的に最高裁の判断に委ねられる。


 当時、日本では死刑判決が下された事件の再審が認められた例は1件もなかったが、矢野さんは念のため訴訟記録を調べることにした。
すると…唯一の物証とされたズボンは、裁判で谷口さんが自分の物ではないと主張したことにより、検察の証拠リストからは除外されていた。
他に検察側があげた証拠は、全て効力が弱い状況証拠。
しかし裁判官は、証拠品から除外されたズボンを拾い上げ、物的証拠とし死刑判決を下していたのだ。
 さらに、もう1つの決め手である自白について、谷口さんの元を訪ねると…当時、自白を強要されていたという。
食事や睡眠もほとんどとらせてもらえず、激しい尋問にも耐えかねて自白してしまったのだ。


 その後、当時 取り調べに同席し、谷口さんの自白を記録した事務官にも話を聞いた。
その事務官は、ある日の取り調べで『証拠品のズボンを見せた』と調書に書いていた。
しかしその日、ズボンは別の県の大学に鑑定に出されており、取調室には存在していなかったのだ。
矢野さんの追求に事務官は何も答えることはできなかった。
矢野さんは確信した…谷口さんが、冤罪であると。


 矢野さんは、真実に気づいた以上、再審に持ち込まなければと思った。
しかし、死刑判決を覆すどころか、当時 日本では死刑判決が下された事件の再審が認められたことすらなかった。
死刑囚の谷口さんの無実を信じ、再審請求を進めることは…すなわち、一裁判官が日本の司法の誤りを暴こうとするということ。
信頼が揺らぐのを恐れる検察や裁判所が大きな圧力をかけてくることは間違いなかった。
 さらに、死刑判決が下された事件の再審などあり得ない時代…国民は司法を信じ、誰もが谷口さんの犯行だと思っている。
そんな中で再審請求を進めれば、家族にまで被害が及ぶかもしれない。
平穏な生活か、裁判官としての正義か…矢野さんが下した決断。
それは…誰も予想出来ない、アンビリバボーなものだった!


 矢野さんが手紙を読んでから3年後、ある記事が新聞に載った。
そこには、矢野さんが裁判官を辞め、弁護士に転身したと書かれていたのだ。
だが、裁判官に留まるのではく、なぜ 弁護士になる決断をしたのか?
 矢野さんは、高松地裁の裁判官として再審開始の決定はできる。
しかし、そうした場合、検察側から異議申し立てがあるのは目に見えていた。
そうなると、再審開始の審理は高松高裁にゆだねられる。
地裁の裁判官である矢野さんの手を離れてしまう。
しかし、谷口さんの弁護士になれば、例え高裁で再審請求が棄却されても、弁護士として、それに異議申し立てをすることができる。
最終的には、最高裁の審理まで自分の手を離れることはない。
矢野さんは、何とか再審にまで持ち込み、自らの手で戦い続けることを選んだのだ。


 定年まで5年を残して、矢野さんは退官の希望を提出した。
そして、裁判官として最後に再審開始を決定すべく書類作りに着手。
裁判に関わる裁判官の数は事件によって変わるのだが、財田川事件に関しては3人。
一般的に再審開始には、関わる裁判官の過半数の合意が必要だった。
2人の裁判官から合意を得て、矢野さんは再審開始決定書を書き上げた。
 だが、印刷に回す直前…2人の判事がギリギリになって突然 異議を申し立てたのだ。
そのため、再審開始の決定は延期となった状態で退官することになってしまった。
最後の最後で裏切られた。


 それでも諦めず、矢野さんは弁護士となり、谷口さんの担当となった。
弁護士に転身して2年、延期になっていた再審請求は、後任の裁判官たちが正式に棄却。
矢野さんは弁護士として、すぐに異議申し立てをした。
 さらに、少しでも再審開始の手がかりを作ろうと、谷口さんは弁護士として民事裁判を起こした。
裁判所の判断の誤りで受けた心身の苦痛の代償として、国を相手取り、5千万円の損害賠償請求を起こしたのである。
当然 却下されたが、裁判官が弁護士に転身し、訴訟を起こしたことに全国紙が注目。
その挑戦が記事になった。


 これを見た出版社が、事件に関する本の執筆を依頼。
一旦は断ろうとしたが、これも再審開始へ何かのきっかけになるかもしれないと、執筆を決意。
途中、脳卒中で倒れ、右半身付随になってしまうが、それでも左手で執筆を続けた。
 そして、弁護士に転身して5年、矢野の著書『財田川暗黒裁判』が出版された。
自らの人生をかけて、死刑囚の無実を訴える決断を多くの人が賞賛。
人々は冤罪に同情し、検察と裁判所に怒りを抱いた。
すると、日本弁護士連合会も再審を支持、矢野を含む弁護団が結成された。


 この頃、審理は最高裁に移っていた。
最高裁は、これまでの決定は審理が尽くされていないとして差し戻し。
もう一度、高松地裁から審理が始まったのだ。
 その後、審理を重ね…弁護士に転身して9年、ついに財田川事件の再審が決まったのである。
死刑判決の再審決定は、日本で初めてのことだった。
自白とズボンの血痕を証拠に犯人とした裁判は、著しく正義に反するとした。


 そして再審が決まってから5年後、高松地裁はついに無罪を言い渡した。
検察は控訴せず、無罪が確定。
釈放され、34年ぶりに自由の人となった谷口さんは、53歳になっていた。
だが…その無実の証明に奔走した矢野さんは、谷口さんの隣にはいなかった。
 実は、判決の1年前、急性肺炎で亡くなっていた…享年71。
死の4ヶ月前まで、弁護団の一員として出廷していた矢野さんは、自分の健康よりも被告席にいる谷口さんのことを気に掛けていた。
釈放された翌日、谷口さんは…矢野さんの仏前に判決文を添え、こう言ったという。
「先生、やっと出てくることが出来ました。」
矢野さんの決断は、こうして実った。


【はじめてのレモン】
 2歳のキャメロン君は、あるものを初めて食べる決断をした。
それは、レモン!
酸っぱい!
再度挑戦するも、やっぱり酸っぱい。


【レスリングで仰天事態】
 これは男女混合のレスリング大会。
小さな子供の大会は体格差が少ないため、男女が戦うのは一般的なこと。
しかし、この試合であなたはアンビリバボーな決断を目撃する。
 突如 男の子が乱入し、強烈なタックル。
乱入したのは、ジャシュ君、2歳。
実は彼、ルビーちゃんの弟。
お姉ちゃんが襲われていると勘違いして、助けに入る決断を下したのだ。
 しかし、異変に気付いたお父さんによって連れ出され、試合も仕切り直されることに。
試合は壊してしまったが、家族を守る決断を下したジャシュ君の勇気は褒めてあげたい。


【なぜ?パパはキスNG】
 こちらは、自ら決断したことを頑なに守り続けるノア君。
ママとはキスするけど、パパとはしない決断。
ママにはキス、パパにはパンチ。
ママOK、パパNG!
数日前から突如パパを拒否。
両親にも決断の理由は分からないらしい。


【愛のプレゼント作戦】
 こちらは、2歳のクーパー君。
彼は、大好きな女子に初めて花をプレゼントする決断を下した。
玄関には大好きな彼女が…クーパー君、初めてのプレゼントをきちんと渡すことができるのか?
その行方は…ん?そっち? 私じゃないの?って表情。
 実はクーパー君、最初はこちらのアリアちゃんに渡すつもりだった。
しかし、いざ渡そうと思ったら緊張して直接渡せなくなっちゃったとのこと。
しかし、彼の思いは通じたのか、2人は今も仲良しだ。

Close×