地下から聞こえる猫の鳴き声 老夫婦!愛と絆の救出奮闘劇

今から4年前、大阪府吹田市の静かな住宅地で、早瀬さん夫妻はある異変に気づいた。
雨水を側溝から地下に流すための雨水溝(うすいこう)と呼ばれる溝から、子猫の鳴き声が聞こえてきたのだ。
だが、金網越しに覗き込んでみても、子猫の姿は見えない。

金網をどけて中を覗くと、溜まった水を地下へ流すため、直径15cmほどのパイプが横に伸びていた。
子猫の声はパイプより、さらに奥から聞こえているようだった。
母猫がエサを探しにいったスキに子猫が横に伸びるパイプの中に入ってしまったのだろう。

近くにマンホールがあるため、道路の下には下水管が通っているのがわかる。
パイプの奥には、その下水管に続く縦穴があるはずだと考えた夫妻は、子猫がその縦穴に落ちてしまったと推測した。
だが、その場ではどうすることもできなかった。

夜になっても、子猫の声は聞こえていた。
妻が真っ暗な地下に落ちた子猫を思って眠れずにいる。
言葉にしなくても、その胸の痛みは、夫の健さんに伝わってきた。

早瀬さん夫妻は、結婚して50年。
3人の子供を育て上げ、健さんの退職後は2人でのんびり暮らす毎日だった。
妻の富久美さんは、誰とでも打ち解ける明るい性格。

明るい妻とは真逆…健さんは、地図を見て見知らぬ土地のことを想像するのが好きな内向的な性格。
1人でじっくり取り組める、釣りも趣味にしていた。

綺麗好きで、自宅の掃除は一手に引き受けていた健さん。
動物は嫌いではなかったが、猫に関しては毛が苦手だったため、猫を飼っている娘の家へはあまり行きたがらなかった。
また、大切に手入れしている庭木に野良猫がイタズラをすることも、猫を快く思わない理由の一つだった。

対照的な性格の2人。
それでも、ケンカをしたことがないほど仲の良いおしどり夫婦だった。

翌朝になっても、子猫の声は聞こえていた。
天気予報では、大阪の降水確率は90%、しかも夕方から雷雨になるという予報だった。
夫妻は消防に連絡し、子猫の救助を要請することにした。

隊員によると…確かにパイプの奥には下水の排水溝へとつながる縦穴があり、子猫はそこに落ちてしまったに違いないという。
だが救助するには、道路を掘るしかない…そのため、消防では救助できないと断られてしまった。

他に方法は考えられないのか?
そうは思ったものの…言い出せなかった。
実は、関西地方は8日前にゲリラ豪雨に襲われ、梅田駅の地下水路が水没、吹田市内でも浸水で消防が出動する被害が出ていた。
この雨だと、また大きな被害が出るかもしれない…そう考えると、これ以上、消防隊員を引き留められなかった。
また、市役所などの公的機関も同じ状況だと思い、連絡はいれなかったという。

夫妻は、同じようなケースで救出に成功した例がないかをインターネットで検索。
2メートルの井戸に落ちた猫を、結び目を作ったシーツで救出した事例を発見した。

子猫に気づいてから3日。
2人は自分たちで救出すべく、行動を開始。
まずは、子猫がいる場所までの距離を測ろうと考えた。

そこで、重りをつけたロープをホースで押し込むことにした。
これなら、横に伸びるパイプの中にも、直角に曲がる部分にも対応できる。

計測の結果、横に伸びるパイプを2m奥へ進むと、深さ1.3mの縦穴があることが分かった。
合計すると、子猫が落ちた場所までは、約3.3m。

2人はシーツを細かく割き、子猫が爪を引っ掛けてよじ登れるよう、いくつもの結び目を作ったロープを作成した。
先には縦穴に落とすための重りと、エサとなるソーセージを結びつけた。
ホースを使って、シーツを慎重にパイプへ押し込んでいった。
そして、その場にいると子猫が警戒して出てくることができないと思い、祈るような気持ちでその場を離れた。

だが、深夜になっても子猫の鳴き声はまだ地下から響いているようだった。
気が気ではなく、富久美さんはほとんど眠れなかった。

翌朝、様子を見に行くと、鳴き声はまだ地下から響いていた。
だが、シーツの先端につけたソーセージがなくなっていたのだ。
シーツは間違いなく子猫の元に届いていた。


他に何か方法はないものか?
健さんは近所のホームセンターへ出かけた。
そして、ねずみ捕りシートを地下に下ろし、子猫を張り付けて救出する方法を思いついた。
だが、万が一救出できずにシートが張り付いた状態で残してしまえば、さらに体力を奪うことになるかもしれない…
結局、良い方法は見つからなかった。

午後になると、雨が降りはじめ、鳴き声も聞こえなくなった。
もしかして、流されてしまったのではないか、そう考えると富久美さんは眠ることができなかった。
子猫がいる場所からは、さらに横に下水が伸びている。
雨水が勢いを増せば、そこへ流されてしまう可能性もあった。

雨は翌朝も降り続いていた。
鳴き声も聞こえない。
夫妻は子猫は死んでしまったのだろうと思った。

子猫に気づいてから6日。
前日まで降っていた雨もやみ、太陽が顔をのぞかせた。
子猫の声は全く聞こえず、夫妻は以前と同じ日常に戻ろうとしていた。

床屋に行くと出て行った健さんが、珍しく大きな声を上げて戻ってきた。
そして、富久美さんを雨水溝に連れて行った。
すると…子猫の声が聞こえた!
過酷な状況の中、子猫は生きていた!
その声は、『まだ生きている』と主張しているかのようだった。

2人は、子猫にまずはエサをあげようと考えた。
エサには前回と同じソーセージと缶詰のキャットフードを用意した。
ソーセージを、重りをつけたロープの先に結びつける。
キャットフードは、プラスチック製の小さなカゴを半分に切り、キャットフードがこぼれないように缶を固定。

2人は、子猫のためのエサを静かに下ろした。
一度は諦めた小さな命がつながっていた喜び。
もう二度と諦めたり、悲しい思いをしたくはなかった。

子猫に気づいてから1週間。
ロープを引き上げると、エサはきれいになくなっていた。
体力はこれでしばらくは維持できるだろう。
だが、いつ大雨が降るかわからない。
時間がないことには変わりはなかった。

健さんは、救出のヒントになる物はないかと家中を探し回った。
そして、考えを重ねるうち、突然アイデアが浮かんだ。

そのアイデアとは、ペットボトルに子猫を入れて引き上げるというもの。
そこで、まずはボトルが通るのかを調査するため、水が入ったペットボトルをそのままパイプの中に投入。
水を入れたのは、猫の重さを想定して、引き上げることができるかどうかを同時に確認するためだった。
だが、方法としては理解できたものの、富久美さんは、とても成功するとは思えなかったという。

健さんは、早速仕掛け作りに取り掛かった。
名付けて『ペットボトル作戦』だ。
猫が入る穴の位置はどこにすべきか?
穴の大きさはどれくらいにすべきか?
猫が入れなくては意味がない。
しかし、入ることができても、すぐに飛び出してしまうようではダメだ。
子猫の大きさは全く分からない。
結局、入りやすさを重視し、ペットボトルの側面に全体の半分ほどの穴を開けて底の部分にソーセージをつけたものを作った。

30分後、ペットボトルを慎重に引き上げてみると、子猫は入っていなかったが、ソーセージは半分かじられていた。
救出には失敗したものの、これでペットボトルに入ってくれることは分かった。

次に健さんが取り出したのは、『もんどり』と呼ばれる魚を獲る仕掛け。
この仕掛けは、魚が一度入ると返しが邪魔になり、出られなくなるのが特徴。
これをペットボトルに応用しようと考えたのだ。

だが、この日はもう遅かったため、作戦決行は翌日にすることにして、2人は眠りについた。
救出への希望を見出した夜だった。

翌朝、健さんは仕掛けの製作にとりかかった。
子猫は弱々しい声で鳴いている。
子猫が縦穴に落ちていることに気づいてから、すでに1週間以上が経過。
幸いここ数日、雨は降っていなかったが、天候は不安定。
また、ずっと水に浸かっているであろう子猫の体力も限界に近いはず。

健さんは、もんどりの特徴である『返し』を作るため、まずはボトルの上の部分をカット。
それを逆向きにしてタコ糸でとめてみた。
返しの部分には、切り込みを入れ、子猫が入りやすいように加工。
そして、奥には誘導するためのエサをつけた。

ペットボトル2号機と名付けた仕掛けをゆっくりと入れていく。
1時間後、ガサガサという音がして、ロープが動いた。
2人は急いでペットボルを引き上げた。
だが、ペットボトルの角の部分が直角に曲がった菅の継ぎ目に引っ掛かってしまい、引き上げに手間取ってしまった。
子猫の救出は、またも失敗。

エサが食べられていたことから、穴の大きさは十分なことが確認できたが、タコ糸が切れ、返しの部分が外れていた。
原因として…
『体が半分出ている状態で引き上げてしまった』
『引き上げた衝撃に驚いて飛び出してしまった』
『引っ掛かった時に逃げてしまった』
この3つが考えられた。

入り口さえ外れなければ、成功していたかもしれない。
タコ糸では弱いことが分かったため、強力接着剤を使うことなども考えたが、接着面が小さく、強度は足りない。
だが、とりあえず、もう一度同じもので試してみることにした。

空腹になった時間を見計らって、ペットボトル2号機を修復した物を投入した。
だが、前回の作戦で子猫に恐怖心が残ってしまったのだろう…中のエサに一切手をつけている様子もなく、作戦は失敗に終わった。

2人は新たなペットボトル作戦に挑むことにした。
ペットボトルを分解して組み立てると、どうしてもその部分の強度は弱くなる。
一番強度を保てるのは、ペットボトルの形をそのまま使う方法だ。

そこで、まず入り口の部分を子猫が入れるギリギリの大きさで切り取り、細かく切り込みを入れて返しをつけた。
そして、子猫が入る時に安定するよう重りも取り付けた。

前回の恐怖心が残っており、子猫が身体を中に入れてくれない可能もある。
そこで、奥のエサだけではなく、入り口から順番に間隔をあけ、3カ所にエサをセットした。
これなら手前からエサを食べながら、自然と奥まで入ってくれるかもしれない。

だが、猫がペットボトルに入ったとしても、最後に大きな問題があった。
全く状況が見えない中、子猫が一番奥へ入ったことを知るためには、どうしたらいいのか?
失敗すれば子猫は警戒して、2度と仕掛けに入らなくなってしまう可能性もある。

健さんは、ある物を使うことを思いついた。
それは、魚がエサに食いついたタイミングが音で分かる、あたり鈴という釣り道具だった。
一番奥のエサに直接、鈴をセット。
3つのエサをつなぐヒモには、多少のたるみをもたせているので、手前や真ん中のエサを食べている時には、それほど大きく鈴が揺れることはない。
しかし、一番奥のエサだけは、その振動がほぼダイレクトに鈴に伝わり、手前の2つよりも確実に大きく揺れる。

つまり、大きな音が鳴った瞬間が、子猫が一番奥へと入ったことを知らせる合図となるのだ。
これなら引き上げのベストのタイミングが分かる。
釣りが趣味である、健さんだからこそ思いついた仕掛けだった。

翌日、作戦を決行。
満を持してペットボトルをパイプに入れていく。
底に到達した!
今回はタイミングが勝負のため、その場で待つことにした。

やがて、ガサガサという音がした。
そして、鈴の音が大きく鳴ったその時、ペットボトルを引き上げた!

子猫はペットボトルに入っていた!
体重680グラムほどのメスの子猫だった。
小さな命が救われた瞬間だった。
すぐに家に連れ帰り、洗って温めると、子猫は安心したように眠り続けた。

だが、問題は子猫をどうするか?
健さんは猫が得意ではない…早瀬家で飼うことはできない。
そう考えた富久美さんは、猫好きの娘さんに頼んで里親探しをしてもうらおうと考えた。
ところが…健さんが「飼ったらええやないか」と言い出したのだ。

健さんの鶴の一声で子猫は早瀬家の一員になった。
9月9日に助け上げたことから、ココと名付けた。
小さな叫びが夫妻を動かし、奇跡の救出劇へとつながった。
そこには、確かな命の絆が存在している。

その後、早瀬家の一員となったココは、健さん、富久美さんの愛情に包まれ、すっかり大きくなっていた。
現在4歳、健康面でも何の問題もないという。

だが、ココの救出劇の9ヶ月後、再び事件が起きていた。
地下の下水溝に別の子猫が落ちてしまったのだ。
この時は、マンホールから声がしたことから、市役所の下水道局に連絡。

ずぶ濡れになった黒い子猫が救出された。
この子猫も早瀬家で引き取り、ナナと命名。
その後、二度とこんな事故が起きないように、健さんは市に相談して金網で穴を塞いだ。
夫婦と猫2匹、不思議な縁で結ばれた家族は、今日も笑顔で溢れている。


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