2万人を救う奇跡の装具 生みの親の壮絶半生!

沖縄県国頭郡金武町。
ここに、奇跡を起こすと噂されている工場が存在する。
ひじを故障し、ボールを投げられない少年、ところがある装具をつけると…ボールを投げることができる。
さらに…膝の痛みで階段が上れない女性、彼女も膝にある装具をつけると…普通に階段を上ることができた。

この奇跡の装具の生みの親こそ、佐喜眞保さん。
これまで膝や肘など、関節の痛みに苦しむ2万人以上もの人々の悩みを解決してきた。
奇跡の装具はどうやって生み出されたのか?
そこには、彼の壮絶な半生が隠されていた。

佐喜眞保さんは、今から65年前、沖縄・宜野湾市に生まれた。
しかし2歳の頃、脊椎カリエスという難病にかかった。

これは怪我などによって、体内に入った菌が脊椎に感染し発症する。
重症化すると感染した部位が変形し、背骨が曲がり、瘤ができた様になる。
当時は手術をしても、変形した骨を完璧に元に戻す事はできなかった。

佐喜眞さんの場合、症状は重く、成長しても背骨が曲がってしまっていたため、クラスの誰よりも身長が低かった。
それゆえ…遊びには混ぜてもらえず、誰にも受け入れてもらえない。
孤独な日々は佐喜眞さんから笑顔を奪っていった。

中学になっても、身長は思う様に伸びず、自分だけが取り残されていく。
不安な気持ちを理解してくれる人などいるはずもなく、未来に希望を失ったことでグレ始め、高校は1学期で中退、鉄工所で働き始めるようになった。
しかし同僚たちとは馴染めず、相変わらずの孤独な日々。

その後、北海道で働き始めた彼に転機が訪れる。
ある日、工場の社長から見合いを勧められたのだ。
容姿にコンプレックスがあった佐喜眞さんは、乗り気ではなかった。

相手の女性、マチ子さんは、幼少期、脳性麻痺を患いほとんど歩けなかったという。
だが、20歳の頃に2回も手術を行い、リハビリもして何とか歩けるようになったという。
佐喜眞さんは、一目で彼女に惹かれた。

間もなく交際を始めた2人は、出会いから1年後、結婚。
自分の気持ちを理解し、寄り添ってくれる人がいる。
マチ子さんという存在を得たことで、佐喜眞さんは変わっていった。
生まれて初めて、将来に対する希望が生まれた。

そんなある日のこと…屋根の工事を頼まれ、ハシゴに登っていたのだが…7メートルの高さから落下してしまった!
かろうじて一命は取り留めたのだが…
佐喜眞さんの異変を感じたマチ子さんが、自分を手術してくれた先生に診察してもらおうと、強く勧めたのだ。
マチ子さんのこの決断が、佐喜眞さんのその後の人生を大きく変える事となる。

実は11年前、マチ子さんを担当した医師こそ、当時、世界最先端の方法で脊椎の手術を手がける名医だったのだ。
その金田医師によると、佐喜眞さんの脊椎カリエスが悪化しており、手術をしないと歩けなくなるという!
だが、脊椎を伸ばす処置には激痛が伴う…それでも佐喜眞さんは手術を決意した。

手術をする前にはまず、頭蓋骨と骨盤にボルトを打ち込み、曲がった脊椎を強制的に伸ばして固定する必要があった。
覚悟していたものの、想像以上の激痛を伴った。

2週間後、ようやく脊椎が伸び、手術が行われることとなった。
腓骨と呼ばれる脚の骨を切除して脊椎に添えつけ、外側からボルトで固定するという大手術だった。
そして…治療は成功!
背中の変形はなくなり脊椎カリエスは完治したのだ。
こうして佐喜眞さんは、自分の事を心から心配してくれた妻の判断によって、長年苦しめられてきたコンプレックスから解放されたのだ。

そして…彼はある決断をする。
それは…義肢装具士になることだった。
義肢装具士とは医師の処方に従い、身体が不自由な人のために、使用者に合わせて装具を調整したり、新たに製作したりする仕事である。

そして、福岡の職業訓練学校で学び、沖縄で義肢装具の会社を立ち上げた。
何よりも自分のこと思ってくれるマチ子さんのお陰で、自分は変わる事ができた。
今度は自分が患者さんたちの気持ちを理解し、寄り添う存在になろうと考えたのだ。

だが、生活は苦しかった。
佐喜眞さんは患者が満足するまで、何度も装具の調整を行うため効率が悪く、利益が極端に少なかったのだ。

やがて2人の子宝に恵まれた。
ギリギリの生活ではあったが、マチ子さんに支えられ、佐喜眞さんは一心不乱に働いた。
こんな自分でも、人の役に立つことができる。
それが何より嬉しかった。

開業して15年目を迎えた1995年、佐喜眞さんの評判を聞き、ある夫婦が連絡してきた。
足首をしっかり固定する装具を作って欲しいという依頼だった。

妻・一子さんは、その5年前、くも膜下出血で脳に重い障害を負い右半身が麻痺していた。
意思の疎通はできず、トイレのタイミングさえ自分ではわからない。
そんな妻を、夫・清二さんは5年もの間、支え続けてきた。
夏は2時間、冬は1時間半おきにトイレに連れていくなど…身の回りの世話を全てこなしながら…
できることなら、もう一度 歩かせてあげたい。
それが清二さんの願いだった。

一子さんは、体重が右足にかかったとたん、膝が後ろに反り返る、いわゆる反張膝になり、歩くことができない状態だった。
そこで足首を90度に固定すれば、膝も元に戻り、歩く事が出来るのでは?…そう考えたのだ。

佐喜眞さんはさっそく作業に取りかかった。
しかし、足首を固定しても、歩こうとすると膝が後ろに反り返り、靴に取り付けた支柱の止め金が壊れてしまう。
強度を上げ、何度作り直しても結果は同じだった。

そこで、佐喜眞さんが悩み抜いた末に製作したのが、支柱を使うのではなく、ブーツの中に固いプラスチックを入れ、足首を90度に固定するというもの。
確かに足首は固定され、多少反張膝も改善された。
しかし、今度はバランスが取れず、一子さんは一歩も歩くことが出来なかった。

すでに開発から一年半が経っていた。
これ以上は無理だと、そう思った。
しかし…ここで逃げてはダメだと思い、もう一度、取り組むことにした。

だが、どうすれば良いのか分からなかった。
足首を90度に固定したにも関わらず、一子さんはなぜバランスを崩してしまうのか。
佐喜眞さんは、あることに気がついた!

人は歩く時、膝を少し前に折り曲げる事でバランスをとっている。
一子さんの反張膝は、多少改善されたとはいえ、まだ後ろに反り返っている。
そこに原因があるのではと考えた。

実はこれまでにも、反り返った膝を矯正する装具はあった。
それは、膝を前に出した状態にして、両サイドに支柱をあて、さらにベルトと金属で動かない様に固定するというもの。
ところが、この装具では固定する力が弱く、一子さんの膝の反り返りを抑えきれなかったのだ。

それから1ヶ月後。
完成した装具が、一子さんの足に装着された。
すると…歩くことができたのだ!

夫・清二さんは、インタビューにこう答えてくれた。
「私の気持ちをご理解いただける方は少ないんですけれども、佐喜眞さんは良く理解してくれた。家内に対する考え方を汲んで下さった。僕から家内をとったら何も残らないですね」

佐喜眞さんは、これまでの装具の弱点をどうやって克服したのか?
これが佐喜眞さんが完成させた、CBブレースと呼ばれる装具。
膝の裏側に細い金具があることがお分かりになるだろうか?
これはセンターブリッジと呼ばれるモノ。
この金具を一本取り付けることにより、支柱のグラつきを抑える事に成功、固定する力が格段に上がったのだ。
さらに、ベルト部分の金属も必要なくなり、軽量化にも成功した。

それだけではない…この技術を応用し、佐喜眞さんは「変形性膝関節症」とよばれる、膝の痛みに苦しむ人のための装具も開発。
装着することで自分の足で歩けるようになる患者が続出した。

快進撃は続いた。
開発から6年後、画期的な製品を開発した技術者に送られる『ものづくり日本大賞』を受賞!

さらに、同じ原理を使って肘用の装具も開発。
当時、手術を行い、肘に不安を抱えていたヤクルトスワローズの稲葉選手に提供。
復活に一役買ったのだ!

常に相手の立場に立って寄り添い、とことん付き合う。
そんな彼の情熱が今、世界中の人々に歩く喜びと笑顔を与えている。

佐喜眞さんは最近足の調子が悪くなった妻マチ子さんに、あるプレゼントを用意していた。
それは…マチ子さんのために作った特別な靴だった。

佐喜眞さんは、最後にこう話してくれた。
「早く旅行に連れて行きたい。仕事しか表現がないんでね。まあいつまでもそれじゃいけないしね。成長します!」

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