今日は国際女性デーですね。
国連で定められたのは1975年ですが、メディアでもようやく昨年あたりから
この国際女性デーについての特集が組まれるのを多々目にするようになりました。
さすがにジェンダーギャップ指数が下がり続けていることに目を瞑れない状況になってきたのでしょうか。
わたしは、学生時代から学級委員長や生徒会長が男子、副が女子ということが不思議でならなくて、
わきまえずに行動する子どもだったので、笑、
「恭子ちゃん男の子に産まれたら良かったのに」、
と他のお母さま方にしばしば言われておりました。
そして、その意味が分からなかった。
なんでやねん?
男子だからどうで女子だからどう、と考えずに進んできました。
強烈にわかるようになったのはやはり社会に出てからです。
特に育児休暇後よく思い出しました。
思春期の私に悪気なく、でも心の底から
「男の子なら良かったのに」をため息混じりに話しかけてくれたお母様方のなんとも言えない表情を。
数の力は大きいです。
少なくとも、発言する勇気を持てます。
今ある環境も先人たちの頑張りがあって、今のわたしたちがいて、
もっともっと軽やかなバトンを次世代に渡していきたいなと、
50手前にして思います。
そして思うのです。
夜中まで勉強していると、「女に学問はいらん。そんな暇があれば家のことを手伝いなさい」と祖父に叱られてばかりいたのが悔しかったという母。だからこそ、母はわたしには性別にまつわる縛りに囚われずに生きてほしいと願っていたようでした。
〇〇だから、〇〇らしくの固定観念っていったいどこからきたんだろうね?と自分自身の価値観の棚卸しをする日だとも思います。
選択が多様になるのも、決してラクではありません。
でも、そもそも道がなく、
あるいは道が閉ざされて選択すらできないのはもっと辛いことです。
道なき道を切り拓いてくれた先人に感謝しつつ、娘世代にはもっと違う風景がありますように。
その間を、もがきつつ楽しみつつ、わたしはわたしを生きていたいと思います。