しかし、昨年、複数の医大入試の不公平を知り、また、娘が少しずつ大きくなる中で、自分自身が鍵をしめて深く沈めてきた感情の蓋が開いていく感じがするのです。
女の子に生まれるなんて、自ら選んで決めたことじゃないけど、、、
あなたは、何にでもなれる。
少なくとも、なにを目指してもいいんだよ、
そう言ってあげたいと思うのです。
上野先生の祝辞の中でも、1番こころに残ったのは、「強がらず、弱さを認め、支え合って生きてください」というところ。
いまの自分の環境があるのは、先輩方の尽力で成り立っていて、次の世代がもっと生きやすくなるには、自分のがんばりだけではどうにもならない弱さや辛さを言葉にし、それを変えるべく、伝わるやり方で伝えていくことなのだと思います。
女性だから。母だから。
それは目に見える、わかりやすい属性。
世には、もっと人目にはわかりづらい生きづらい何かを抱えている人もいます。
だから、ある意味でわかりやすい属性の私たちが、これまで気づかれなかった視点や声をあげることが、ほかの言いづらい人たちのためになるかもしれないとも思います。
糾弾ではなく、提案として。
いや、時に闘う気持ちも必要なのかな。
いずれにしても、上野先生の祝辞が、あれだけ大きく扱われ、語り合われること自体に、ようやく、、、という思いがします。
長くなりました。
はー、書ききれないな。笑