最近、このタイトルの件で書きたいことたくさん。
小出しにします。笑
子らを介して、教えるということはなんだろうかと、よく考えます。
好奇心旺盛な息子でありますが、今まで唯一辞めたいと言った習い事がサッカー。
あまり足も速くなければ俊敏でもない。
グラウンドを走れというときに、息子に対し、もっと速く走れ、速く速く、、と言われたそうです。
昭和の私には違和感なし。
それって、あなたが死ぬ気で走ってるように見えなかったってことじゃないかな。
結果速いかどうかもあるけど、それ以前に全力に見えなかったのでは?と口にこそしませんが、おそらくそういうことなのだと思います。
息子からすると、
ぼくも必死だった、必死なんだけど、どうしても遅くなる、どうやったら速く走れるんだろう?とそれなりに真剣な様子。
確かに。
あらゆることは、もとの才能とかセンスで片付けられやすいけど、実はほんの少しの改善点や理屈や身体の使い方を変えるだけで伸びることはある。
そこを具体的に言語にできるかどうかなのだと思います。
そういう意味で、息子の担任の先生から、ものすごく教わります。
字を丁寧にきれいにするには、一画一画鉛筆を紙から離すように、
お友達との遊びも力が強くなりがちなので、もちろん楽しく全力で遊ぶけど、人には力を半分に。
とても具体的。
あなたは雑、とか乱暴、とか人格に踏み込む必要もない。
息子も、すぐにやってみる!という気持ちになれる。
教えるプロって、こういうことだろうなぁ、、、と深く深く感動するのです。