今朝の報道プライムサンデーで、先日取材をさせていただいたお遍路さんが放送されました。
アメリカ人のケヴィンさんがお先達。これで6回目の道のりなのだそう。
まだうまく言葉で消化できない感覚なのですが、とても深くて不思議な体験でした。
独特の空気があるんですよね。
時代は移りゆけど、地域の方が変わらず、当たり前のようにお遍路さんを受け入れて、果物や水や、時に寝る場所など、、、お接待として何かを渡してくださる。
ケヴィンさんも最初の挑戦のときは、自分を変えたいという想いが強かったそう。なので、自分に負けたくない、人の助けを得たくない、自分の力で到達したいと思ったというのです。
でも、地域の方の、ごく自然な思いやりや、大切な方を亡くしたけれどもう自分はお参りの旅に出る体力がない、代わりに祈ってほしい、、、などと託される経験を経て、ふとこころが柔らかくなったといいます。自分ひとりで完全でなくていい、と。誰もが自分にできることをすればいい、と思いやりの循環を感じたそうです。
わたしは、3つのお寺のみを同行させていただきましたが、最初の旅路を思い出して、時折こみ上げていらっしゃってるを見ては、奥深い体験なのだなぁ、と伺い知る。
歩いて、浄めて、お参りする。
その延々とした繰り返し。
たった三箇所しか周れなかったけれど、ケヴィンさんと声を合わせてお参りする中で、自由さや清々しさを感じました。
ただ、お参りのために、歩く。
お墓の横の一本道や、田んぼの中や
、時には家畜の匂いの漂う道。
わたしの原風景にもない記憶なのに、なぜか懐かしく、ほっとする。
80箇所目くらいになると、えも言われぬ高揚、充実があるだろうなぁと想像します。いや、かえって静かな淡々とした境地に至るのか。やってみないとわからないな、、、。
白装束を着たときに、仏教で大切にされるお遍路さんの10の心得を教わりました。
不平をいわない、生き物を殺さない、等。
壮大なお参りの旅に出ようとするときに、この教えはいい重しになるんだろうなぁ。
炎天下なのに、暑い暑いいうのも、なんだか気が引けましたから。
2つ目のお寺で、足を数カ所刺した蚊を思わず手で払った自分を悔いましたからねぇ、、、笑。わたし、弱すぎる、あー、あー、、、と。
またあの空気に包まれたいなぁ、、、、