脱ゆとり後なのか、小学校のこどもの宿題も、親が最終確認するのが常のようです。
母友同士集まると、わたしたちの小さい頃、そんなのなかったねぇ、、、と異口同音に盛り上がる。
それがいやかというと、こどもの宿題みるの、けっこう好きなのです。あ、精神的にゆとりがないときは、キィキィってなりますけどね、、、汗。
理由はいくつかあります。
ひとつは、根が学び好きなんだと思います。笑
小学生の教科書ですら、知らないことだらけで衝撃うけます。
わたしの通ってた小学校は、何度かブログに書きましたが、テストも通知表もなく、評価という言葉と縁遠かっので、それはそれはパラダイスで。
習ったのかもしれないし、習ってないのかもわかりませんが、→(たぶん習ってたのですがまるでわたしに定着しなかった)小学校の理科なぞ、知らないことオンパレードなのです。
え?虫って、羽根が何枚あるか種類によって違うの?
気門てなによ?
、、、、ひどいありさま。
知ると、バンと視界が開けるというのか、目の前のテントウムシやら、カマキリやら、興味津々で見られる。
知らないことを知るって楽しいです。いまだに。
もうひとつは、こんな時間も有限だと思うから。
自分で決めて自分で進む子になってほしいと願うわけなので、わかりやすいサポート期間も、数年。だったら、今を楽しむしかないとも思うのです。
算数だけは、、、気乗りしないんですよねぇわわ。こどももよく承知していて、どうしてもわからない時は、ばぁばの出番です。
算数が好きだったのに、オンナに学問はいらんと言われたのが悔しかった、、、といまだに口癖の母。
75歳にして、すさまじい迫力です。
家族でも、好きも得意もそれぞれ違うわけで、この違いを生むものはなんだろう、、、と、不思議にも思う。
勉強でもそれ以外でも、なにが好きで得意で、なにが苦手でもオーケーだけど、
探求するきもちや、ワクワクするきもちが、その人を貫く。
やるべき、やらねば、で失わないでほしいなと思います。
かつての自分への悔いとして。
子らには、なんであれ、好き!が真ん中の太い柱で貫かれていってほしいな、、、と思います。