週末の会社は、さみしい。
人が少ない。当たり前だけど。
それゆえ、聞こえる音も少ない。
突然、無人の部屋からドア施錠を促す機械的なアラーム音が鳴ったりすると、飛び上がりそうになる。
ビビリなもので。
輪をかけてさみしいのは、今朝息子に、
ママさ、あの、ぎゅーとかしてくれるの、いやってわけじゃないんだけど、あれ、もう時々でいいよと告げられた。
だいすきとかそういうの、わかってるから、と。
離れていく数歩目を感じる。
いつか終わりがくる全てのことに、あとどのくらいと可視化されればいいのだろうけど、
そんなわけもない。
卒乳も、オムツがとれたときも、、卒園も、さみしいより成長の喜びが大きかったけど、
ぎゅー不要宣言は、さすがに痛かった。
自我が芽生えているんだな、と頭では喜ばしいこととして整理するけれど。
こうして、また別個のヒトして歩き出していく。
ここからは、心配して先回りせず、少し後ろから、時々隣で、信じて見守るしかないことが、増えていくのだろう。
いやしかし。
暗い部屋へ行かねばならないときなどは、いまだにママついてきて、なのだ。
正直、めんどうくさい。そんなことこそ、自分でできる。
これも、あと何回か、何十回か、もしかしたら数百回かすると、終わる。
えー、ひとりでいきなさいよーと言いながら、渋々な顔して行ってあげよう。