思えば、「働き続ける。そして家庭をもつ。」
この両輪を走らせることが、子どもの頃からの夢でした。
何になりたい!とかではなく、人生のあり方自体が夢だったのですね。
多分に、男性は外で、女性は家を守って”的価値観に、歯ぎしりするほどのやるせなさを感じながらも受け入れた、わたしの母の影響があると思います。笑
そして、そのおかげで、なのか、仕事も人生も、大小問わずたくさんの失敗をしながらも、気づけば夢は叶っていました。両輪になってましたねぇ。
それに、入社当初、現場のエネルギーに吹き飛ばされそうになりながらも、放送や表現に関わる仕事が年々好きだなぁと思えていることは、ただただ、有難いなぁと思います。
しかし、です。
ちょうど今年の夏頃、よく家で金切り声をあげる自分がいて、気づけばワンオペ育児の記事をせっせと切り抜いていて、そんな感情的に子どもにぶつかっちゃいけないと実母にたしなめられることも冷静に聞けなくなっていて、でも毎日は滞りなく過ぎるので、楽観的なわたしは気にもしていなかったのです。
が、息子や娘がわたしと同じように怒りの導火線に火がつきやすくなっている状況をみて、一気に現実に返りました。
あぁ。感情を暴力的にぶつけ合ってしまってる、、、端緒は、余裕がないわたしだな、と。
娘が生後7カ月半で復帰してから5年超、勤務的にも、スタジオに取材に、イベントのリーダーにと目まぐるしかったので、絶えず走り続けていましたが、ペースを変えてもいいのかも、と少しずつ思うようになりました。具体的にはフルタイムから時短勤務にしてみようということです。
やるとしたら目一杯やりたがりなので、一度広げている風呂敷をほんの少し畳むのにも、実はかなりの勇気がいりました。
周りからは、なにを悩むことがあるの?と励ましていただいたのですが、決断て不思議ですよね。
決められないときは、すごく執着があって断ち切れない。
わたしの場合、周りからどう見られるか?より、自分で自分を縛りがちなのです。
昭和のハイペース、目一杯でいることにどうも心地よさがある。ペースを緩める自分にオーケーが出しにくい。時代はどんどん変わっていっているのに。
苦しみながらもがんばる自分大好き。
厄介ですね、、、。笑
働くモチベーションは変わらないのだからと10月以降時短を決断したところ、少し生まれる時間のゆとりで、家の雰囲気も変わりました。
誰もがキレにくくなった。笑
母の機嫌は伝播するのですね。
何をあんなに迷っていたのだろうと、決断て執着を断つことなんだなぁと思います。
もちろん、職場の理解や支え、家族の協力あって成り立っているので、これまた自分ひとりではできないことなのですが。
時代も制度も、しなやかに働き続けるための後押しがされる中で、
闘っているのは、意外と、自分の中の、こうであらねばならないマインドなのだなと思うこともあります。
楽しみながらしあわせになっても、いいのにね。笑
文化系スポ根に時々、悩まされています。