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佐々木恭子の行き当たりばったり

働く母の胸が痛む日。

2017/11/03 14:43
posted by 佐々木恭子
育児は大変だけど楽しいと思うことが多かったこれまでですが、最近、本当に大変だわ、、、と思うことも増えてきました。

よく母に、子どもほど思うようにならないものはないと高らかに言われます。が、その度に、、、そんなはずはない、兄もわたしも、相当いい子だったのにと、すっかり自分の過去が美化されているので心外なのです。笑。

でも、だんだんその意味するところがわかってきました。

よく言うと、自立するための過程での親と子のぶつかり合い。
スウィートだった母子関係も、やはり別の人格、別の人生なのだなぁと。


お世話に手をとられていた時期も過ぎ、学校や幼稚園に行くようになり、学習や人間関係、彼らなりに社会性を持ち始めると、特段、目の前にいる子は特別な神童でもないわけと痛感するわけです。笑

ありのままに我が子なわけで。


自発的に宿題や片付けをするわけでもなければ、しんどいことから逃げたくもなってくる年頃でもあります。

以前は、自分で決めて自分でやろうねと促して、ホメホメ作戦でできたことも、少々の母の小言など右から左、時折の雷だって、それなりに言い返してくるようにもなってきます。

目の前のママがこわいしぃ〜なんてことでは、動かなくなる時期なのかもしれないです。

結局、自分で決めて何かをやるのは、たとえば気乗りしない宿題だって、誰のためでもない、まずは自分のためだと気づかない限り、親がサポートをどれだけ楽しく申し出ても、難しくなってきました。

では、わたしがそれにいつ気づいたか、と言われたら、随分前からのように思い込んでいますが、つい最近のような気もするのです。

若いころは、どれだけ先輩や身近な人が親身にアドバイスしてくれたことも、もちろん聞いてはいたけれど、それを上回るくらいスルーもして、今になって教えてくれた静かな背中を思い出したりするのです。結局、言葉以外のことで教わったことも多い気がする。




そんな折、これまで何とも言ったことなかったのに、土日はきらいだ、ママはいないしパパは遠いところにいるし、学校の友達にも会えないしと珍しく涙をこぼす息子を見て、こういうとき、先輩母たちはどうしてきたのかなぁと胸がきゅいぃんと痛くなりました。


そんな大事なことは言ってくれてありがたい。受け止めつつ話しながら、なんだか、お互いに本気で話すし、本気でぶつかりもするところが、ちょっと頼もしくなってきたのかしれません。子どもの社会の中で頑張っているので家で甘えてくれるのもウェルカム。

そして、いつか、ぶつかった壁のことも笑い 話で思い出せる、これは確信のようなものがあります。


失敗してなんぼ、恥もかいてなんぼ、それをチカラにしていくことが成長だと信じてますもの。

チャレンジしてる証だなぁ。