今日、ニュースで放送になりました、ダイアログ イン サイレンス。静寂、無音の中で対話を楽しむイベントを体験してきました。
以前ブログでも書いた、”純度100パーセントの真っ暗闇エンタテインメント”、ダイアログ イン ザ ダークの、今度は「音」版です。
一つの感覚が遮断されると、他の使える感覚が徐々に開き、鋭敏になっていくのは既に体験していましたが、
私が感激屋さんなのを差し引いても、今回もまた、とても豊かな90分になりました。
ヘッドセットを装着し、おしゃべりはもちろん、音を出さないのがルール。
いくつかのゲームを通して、言葉のないコミュニケーションをとっていきます。
身振り手振り。表情。体全部。想像力。
一瞬たりとも、伝えようとしている相手同志、目を離さないのに、照れもてらいもない世界。
目は口ほどにものを言う。
静かなのに、とても賑やかなのです。
なにしろ、ほぐれていくと、最初緊張して参加者たちは、どんどん表情が大きくなり、「伝わってる?」「受け取ったよ」のキャッチボールで溢れていくから。
私も、言葉がなくても、自分てなんておしゃべりなんだと再認識する始末でした。
どんな手段であれ、伝えたい気持ちが後から後から湧いてくる。
いざヘッドセットを外し、言葉の世界に戻った最初、とても大切に言葉を選びたくなりました。
以前の真っ暗闇の経験は、自分の言葉はコミュニケーションの上で強い武器だと感じられました。
が、聴覚や音、言葉がない世界、「聴く力を使えない」世界は、もちろん異言語の国に放り込まれた経験はあるものの、
自分がどうなるのか、正直想像がつかなかった。
でも、はたと、まだわが子が泣く以外の表現手段をもたない、言葉のない時の
強烈なやりとりの感覚が、心の奥底から引き出されてきました。
言葉はない。でも、毎日何時間見ていても飽きないとばかりに、見つめ、
目と目で何かを感じ、ベビーが笑うようになったと気づいてはうれし泣きし、
ベビーサインで喉の渇きやごはんのお代わりを伝えあえるようになったときに、
夢中で「わかりたい」「受け取りたい」と思っていたっけな。
今や、饒舌な8歳と5歳に向かって、背中越しに指示し、時々脅し(笑)、
手を止めずにコミュニケーションすることもしばしば。
もっと目と目の会話を取り戻したいと痛切に思い出させてくれました。
そして、言葉が使えるからこそ、身近な人に大事な言葉、ありがとう、ごめんなさいを
丁寧に伝えたいな、と。
感覚って、普段使っていない、閉ざしているものもたくさんあるんですよね。
遮断されると、気づきます。
ないことで感じる、豊かさ。
2020年のオリンピック・パラリンピックで英語圏でない方々もたくさん訪れるでしょうが、今日の感覚を頼りに関わり合えたらいいなと思います。