3月末、痛ましい事件や事故が多くて、ニュースを見聞きしながら胸がつぶれるような想いをした方も多かったのではないでしょうか。
とくに、雪崩事故で我が子や我が友達を亡くされた方々が気丈に話してくださった「 」から、亡くなられた若き方々の人柄がたくさん伝わってきました。
「もっと話をしたかった」
「器の大きな人だった」
「お兄ちゃんお兄ちゃんと妹がずっと泣いている」
当事者にも、当事者の周りの方々にも、個々に固有の人生があるのだと、思い知ります。
被害者の数字だけでは伝わらないもの。
同じくして、2015年にノーベル文学賞をとったチェルノブイリ原発事故に関わる人々の、「 」を集めた本を読んでいました。
もちろん、科学的な検証等、全体像をとらえていくことが大事なうえで、個々の人生を残し、綴ることの意味を感じます。
遠い地の出来事が、ようやく温度をともなって伝わってくる。
初動の事故対応にあたった若き夫婦の看病のあり方、住んでいた場所に想いが残る人々の手紙、子どもを宿すこと自体に罪悪を感じる妊婦さんの葛藤、など、
ものすごく皮膚感覚としてずどんと届き、近い出来事になる。
「 」は、毎日いやというほどいろいろなことが起き、どんどん情報が押し寄せる中で、その流れに楔を打ち、自分ごととして考えていくきっかけになり得るのだなぁ、、、と思います。