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佐々木恭子の行き当たりばったり

技法って?

2017/01/10 22:20
posted by 佐々木恭子
以前、年に一度の教育特番を担当させていただいていたとき、司馬遼太郎さんが、子どもたちに向けて書かれたエッセイを紹介したことがあった。

優しさとは、訓練なのだと。

友達が転んだときに、さぞかし痛かっただろうなと、自分も思いを巡らす。それを積み重ねていくような作業。

久しぶりにオリジナルの文章を読んでみたら、あまりに響いて、言葉をノートに書き留めた。

ひとの立場になって考え、行動しなさいと学校では言われてきたけれど、それを端的に、訓練なのだという潔さ。

思いを馳せることを練習して、積み重ねていくことが大事なのだと。





同じくして、痴呆になった高齢者のケアで、ユマニチュードという介護メソッドがあるのを知った。
相手へ抱く思いやりを、ちゃんと相手が理解できるように伝える技法。

どうやって目を合わせるか、触れるか、話しかけるか、自らの足で立てるようサポートするか。

ひとの自律を最大限尊重する。言葉だけでなく、敬意が伝わる接し方でケアする側が向き合えば、←とてもシンプルな接し方なのだが、

これまで口を閉ざしていた痴呆の方が、シャワーが熱いとか、あなたに会えてよかったなど、言葉を発し、顔の表情まで劇的に穏やかに変化するのだ。

ユマニチュードの本を読んでいると、介護する人・される人の間のコミュニケーションに限らず、普遍のものが多くて、これまたノートにメモいっぱいになった。

あなたが好き。大切に思ってる。
言葉にしてもしなくても伝わる瞬間もあるけど、せっかくの思いも、相手に伝わるように伝えられなければ、魂が喜びあえるような関係は、、、なかなか築けないものだと思う。

技法というと、なんとなく無味感想なマニュアルのように聞こえるけど、わたしは、


持って生まれた天性、とか、才能、とか言われるより、

不器用でも、練習すれば少しずつでもできるのだと思うとうれしい。

もちろん、相手を思いやるこころがあることを前提としたうえでの技法なのだろうけど。

『あなせん』などでも、コミュニケーションは練習すれば上手になるよと子どもたちには伝えているけれど、

原点に立ち返った。


身近にいる人にこそ、ついなおざりになってしまう。

パートナーや子どもたちにはできることでも、親にはなかなかしていない。
たとえば、父には、生活の中でのちょっとしたことでも、目を見てありがとうなどとはなかなか言えない。

相当に一本調子だ。

遠くのひとも大事だけれど、まず身近な人にできなくて、なにをわたしは偉そうな。

気づいたからには、1ミリずつでも前に進みたいな。