先日、賑やかな3世代暮らしとしては珍しく、
わたしと子ども2人で夕飯を食べていると、
息子がぽつり、なんかさー、ばぁばがいないとさみしいよね、と呟きました。
あの声もいいんだよね、と。
わたしとは違う、包むぬくもりがあるのでしょう。笑
そんな折、オットの祖母が旅立ちました。
まもなく、104歳。
天寿を全うしきる姿は、もちろん悲しいけれど、感服の境地ですらあります。
そのことを子どもたちに話すと、息子は、あ、ちょっと眠たくなってきたと顔を伏せたかと思いきや、大号泣。
こういうときに涙が出るのはなにも恥ずかしくないよ、としばらくなすがままにしていました。
何度か会ったことのある人ともう会えないという事実がショックだったようです。そして、100歳を超えて生きる曽祖母のことを、よく「ぼくのひぃおばあちゃんすごいんだ」と友達にも話しながら、どこか自慢に思ってもいたのだと思います。
その晩、オットと息子はテレビ電話で、いつになく長く話していました。
パパもね、小さい頃は、◯◯(息子の名前)みたいに、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に住んでたからね、ごはんを作ってもらったりしてた、
◯◯が泣く優しいきもちは、おばあちゃんにも伝わるよ、、、喜んでると思うよ、
とおばあちゃん子同士話しているのを聞きながら、柔らかなものを感じていました。
最後に会ったのは、3年前くらいになるのかな、わたしたちの息子をみて、オットの祖母は、オットの名前を何度も呼んでいました。
ブログに書いたのを覚えています。
一緒に暮らしてた頃の、幼きオットの、たぶん、1番いい頃の記憶が呼び起こされたのだと、わたしもしあわせなきもちをもらいました。
そしてつくづく、自分ひとりで生きてきたわけではないということを、ありがたく思うのです。