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佐々木恭子の行き当たりばったり

ムヒカさんの言葉に思う。A

2016/04/09 20:54
posted by 佐々木恭子
モノも情報も、SNSも、ありすぎるほどある日本なのに、この国で希望をもちづらいと聞く。
SNSのつながりは、希薄だとも思わない。技術があるから、こころが通うことも増えている。


でも、日本では、あるいは成熟しすぎた国では、ありすぎて苦しいのかもしれません。

なんでもある。際限なくある。
追いかけても、追いかけても、終わりはない。

欲望は尽きない。

尽きないから、満たされない。
無限のループです。


ムヒカさんは、欲望を持つこと自体も、がむしゃらになることも、お金が欲しいと思うことも、否定しているわけではないと思います。


ただ、それに囚われの身になるな、ということなのですよね。

何事にも、限りがあることが大事なのだと。


主従を逆転させるな、とわたしは受け取ってます。

生きるのを充実させるために、モノもお金も欲望も必要だけど、あくまで自分自身の内なる充実が軸にあって、

モノやお金や、外的なことに自分のエネルギーを振り回されるな、

もっと大事なこと、あるよね?
消費の奴隷になってはいけないよ、と。



もっと知りたい。もっと欲しい。飽くなき欲望が、進歩も生み出します。

宇宙だって北極だって、いつも未知なる何かを探求することで、人類の起源や地球の成り立ち、わからないことが解明されていきます。しかし、フロンティアを目指してビジネスを生み、先行する強者たちが勝ち続けるルールを作るから、乗り遅れてはなるまいと競争は続く。

いまや、宇宙のゴミまで回収せねばならなくなる時代。


どこまでいくのでしょう。


大学生に向けた講演の中で、経済の話に及んだときに、ムヒカさんは不足するから経済は生まれるといった趣旨の話をされました。

水だって、豊富にある時代はビジネスにはならなかった、しかし、不足するからそこにビジネスが生まれていくのだ。


発展が悪いとも思わない。
便利になったことや、家電による家事の時短で、助けられていること、わたしにもたくさんあります。


しかし、どこかで、もういいよ、と思う自分もいる。
多少の機能の差のために、使えるものを捨て、次なるものが欲しいわけでもない。買い換えるとゴミを出すし、新しさだけにときめかない。


限りある資源の地球にいるわたしたちが、本当に限りがあるということを、少しずつ実感しているのだと思います。

ミニマリストや断捨離という概念が、この数年で広がるのも、物質社会への疲れから、実は反転して、究極の愛だと思うから。
大事にしたい。だから、最小限でいい。限りがあるから、いい。

環境のことを語るときも、欲望自体と闘う。持ってはいけない、買ってはいけない、ゴミを出してはいけないというストイックなトーンではなく、
持たないことを楽しむ、ともっと積極的なメッセージが増えてきているような気がするもの。




さて、ムヒカさんのメッセージ。

足るを知る、を大事にしてきた日本人には、決して新しいものではないけれど、

いま、響くのは、

どうしたらいいんだろうね、の段階から、どうにかするために、本気で考えなきゃ、考えたら行動していかなきゃいけないよね、そういう段階に入っているからかもしれません。


今日も、観たよと話しかけたくれた人が、感想のみならず、こう考えたとか、何かしら自分の話をしてくれるのでした。

ウィークエンドのディレクターと、風貌も含めて、チャップリンを思い出すよね、などと話していたら、

あの名台詞を思い出しました。

人生にはひとかけらのパンと、ほんの少しの勇気と、愛があればいい。


そんな境地には到底達せませんが、最高に楽しそうに生きる先人たちが言うのだから、きっと、そういことなんだろうという予感がしています。