昨夜のウルグアイ前大統領・ムヒカ氏の来日緊急特番は、
「観る」というより、「話を聴く」番組だったように思います。
突きつけられた問いに、いろいろな思いがめぐりますが、
ああ、聴けてよかった、で終わらせるのはあまりにもったいなくて、自分なりに言葉にしたくなりました。
長文になりますが、お許しください。
友人からもらったメッセージ。
「彼の目の奥には、一緒にいるウルグアイの国民であり、
世界の80%といわれる、非富裕層の人々が見えるよね」、と。
ずっと途上国支援を仕事にしてきた友人だからこそ、
彼が出会ってきたたくさんの人の顔も浮かんだのかもしれません。
ムヒカさんは、人の幸せは、人とのつながりの中にある、とおっしゃっていました。
孤独こそが、不幸な状況なのだと。
9年間、刑務所の独房に入れられ、誰とも話すことも許されず、外とのつながりを全く絶たれた経験からこそ生まれる言葉だと思います。
度々ブログでも書いてますが、以前、ユニセフとの共同事業で貧困国を取材していたときに、
まさにこの真理ともいえる何かを知りました。
世界のワースト5に入るアフリカ・マラウィ共和国。
今日、何を食べる?
何を着ようか?
将来、どんな仕事に就きたい?
選択肢のない環境。
今、目の前にあるもの、今日手に入るものだけで暮らしていく。
手に入らない日もある。
子どもたちに「夢はなに?」と聞いても、夢という意味さえわからないとばかりに、ぽかんとするのに衝撃を受けました。
だって、生まれた場所で、コミュニティの大人たちの生き方を受け継ぐ以外を、知らない。他になにになる?という選択が、前提にない。
しかし、みな口々に言うのです。
幸せだ、と。家族と一緒にいられて、毎日家族のために、生きられている。
だから幸せだ、と。
翌年訪れたパプアニューギニア。
両親をエイズで亡くし、自身もエイズが発症した少年は、
引き取られた親戚宅で、
はなれの、雨も風もすべてが吹き込む掘立小屋で、
何日も食事ももらえず、
ましてや誰とも話すこともなく、
完全に「隔絶」されていました。
自分を鼓舞するためにできるのは、自分で歌うことだけ。
遠い日本からやってきた私たちが数少ない人との関わりだったのでしょう、
取材最終日に、「あなたたちが帰ってしまったら、、、僕の幸せは、、、終わってしまう」と
言われたときに、息さえ苦しくなるような思いを、今でも、胸に刻みつけています。
マラウィよりは、多少、物質的には恵まれているパプアニューギニアなのに、
あまりの受け取る印象の違いに、その違いは何か?日本でも考え続けました。
そのときに、やはり思ったのです。
人が幸せかどうかは、貧しさだけでも、病気だけでも決まらない、
人とつながれているかどうかなのだな、と。