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佐々木恭子の行き当たりばったり

スペースのちから。

2016/03/20 18:36
posted by 佐々木恭子
また、最近の片づけ話の続き。

熱病におかされやすいので、許してくださいませ。

朝起きて、子どもが荒らしまくったリビングの片づけから1日がスタートするたびに、慣れっこだけど、ため息がちでした。


いまは、仕組みが整い、子ども部屋は荒れてもすぐに自分たちで片づけできるくらいになったので、

つくづく、記憶し、把握し、愛せるモノの量は、さほど多くはないと実感します。

むしろ、コレクター体質の人のエネルギーを尊敬するくらい。


子どもの入学、入園に向けて、ギュウギュウ詰めではなく、少しゆとりをもたせたので、
予想以上に卒園等で持ち帰るものの多さも、想定の範囲内。


こんなこと、、、前のいきあたりばったりなわたしにはできなかった。笑
信じられん。



ハンガー効果もすさまじいです。

クローゼットを開けたくなる。
好きなものしかない。
ついうっかり着てしまって、今日は早く帰りたい、、、的なものがない。
どれも好きだからいま着ている、というものになるだけで、枚数は減っても一枚の単価が変わっても、暮らしのときめき度が増すのですね。
←独身時代と明らかに服の単価が変わりますよね、笑

自分の何かを埋め合わすように服を買って、結局満たされるわけでなかった若い頃が、これまた信じられん。


いま手持ちの枚数分にしかハンガーは買わなかったので、服への飽くなき物欲も減りますね。これからは、新しく欲しい、、、ではなく、今のものを着たおしたから買い換える感じになっていくのでしょう。


体はひとつしかないもの。

カバン類も、不織布から出して、見えるようにしたら、使いたくなる。あぁ、替えたい気分だけど面倒、、、のハードルが下がりました。

たったこんなことだけで。


たぶん、究極の面倒くさがりなのです。


家庭をもって、暮らしの入口から出口までに責任が増しました。

若い頃は入口だけ考えてた。

衣食住。

入口から出口までリアルに実感することで、コンパクトに循環させたくなった。

たとえば、使いきれるだけの食材を買う。
使うものだけに囲まれる。

そして、どれだけ想定し、先を読んでるつもりでも、それ以外のことがたくさん起きる。
想定外のことの方が多いくらい。


だから、少しのスペース、余力、ゆとり。

これだけで、随分、どんと構えられる気がします。

ということが、初めてわかりました。

よく帳尻合ってきたよなぁ、、、いや、合ってなかったのかな、、、。
どちらでもいいですが、笑、いつも準備にほんのわずかなゆとりを持てたら、いきあたりばったりも、もっと楽しめる気がしてきます。

流れのままに。


暮らしと向き合う時間は、何より自分を大事にし直すプロセスだったように思います。

我が家が好き。


新しいわけでも、惚れ惚れするような何かも、特別なものも何もないけれど、
しみじみ愛せる場所に、ようやくなりました。


憧れの場所、憧れの物件でなくても、まぁこんなもん、、、という諦めでなくとも、

いまいる場所って好きになれるのですね。