時折、学校から仕事についての話をしてほしい、とご依頼を受けることがあります。
もろもろ状況が整えば、なるたけ馳せ参じたいと思っております。
だって、自分の仕事に興味を持ってくださるってうれしいですもん。
キャリア教育に限らず、
アナウンサー養成のための大学生のトレーニングの場、「あなとれ」や、小学校でのコミュニケーション教育「あなせん」、それぞれ精を出したいと思うのは、ほかでもない、未来の人材に何かお役に立ちたいと思うからなのです。
本音で言えば、ふと立ち止まります。
「え、わたしでいいの?」とか、
「そんな、有意義なこと、できるかしらん?」とか。
でも、だれかに何かを教えるというのは、
自分の成長にもつながるような気がします。
「・・・・・を大事にしていますよ」・・・なんちゃってね、はないですから。
普段の仕事、生活、考えること、含め、愚直に一生懸命に、
一貫していたいなと思うようになりました。
さてさて。
そういう大義はさておき、もうひとつ理由があるのです。
それは、
単純に、いろんな大人を見る、いろんな考え方に触れること自体が、
意味があると思っているから。
ひとりひとりの人生はオリジナル。
どれも正解なんてない。
何をもって成功とするかも、人によって違う。
たくさんのサンプルを見ることは大事だと思うのです。
こんな人も、いていいじゃない。
なんだか、楽しそうだぞ。
どうしても、世に出る大人たちは、
早くから夢をもち、行動し、
素敵に導いてくれる出会いがあり、
挫折をし、それを力に変えて、というストーリーがあります。
なるたけ具体的に大きな夢をもつほうが、叶いやすいというのもあると思う。
でも、前にもブログに書きましたが、
夢を持つこと自体がもうすでに才能だと思うのです。
わたしは、夢だとか、こうなりたいとか、胸を張って言えること、なかった。
え・・・?将来?よくわからない。
はっきりと具体的な目標や未来の在り方を語る友人が、まぶしかったです。
まさかね。自分がなれるは・・ないような気がする・・・。ムリだよねぇ。
やりたいこと・・・わからない・・・でも、目の前のことは頑張っていくしかない・・・
置かれた場所、今ここからしか、未来はない・・・と
そうやって日々を蓄積していく中で、
夢、ともいえぬほどのやってみたい小さなカケラに高揚し、時間かかって形にしていく中で、
自分の人生が築かれていくことだってあるという気がします。
だからね、いいよ、同じでなくて。
すぐに見つからなくたっていいじゃない。
でも、精一杯もがけよぉ。投げたらあかん。
今、心の隅っこにあるかすかな「好き」の種が、
将来、きっと人生を輝かせる芽吹きになるから、と信じて、
それを伝えたくて、
えらそうではありますが、
そういった場に出かけたいと突き動かされているのです。
そしてそれは、43歳になって、まだ道半ばの自分を、未だに鼓舞していたいのです。
母だからとか、女だからとか、年だからとか、そんなことを笑いながらモノともしない、オトナの先輩や後輩たちを見本にね。
こんなもんかな、と自分の可能性を小さく感じてしまうことも、
油断してると、
すぐに襲われますのでね。笑